私たち日本人にとってアルファベットといえば、英語などで使われる「ラテン文字」でしょう。
ですが世の中にはまだまだたくんさんの文字があります。ロシア語などで使われるキリル文字がその一例。
自分が使い慣れていない文字というとすごく難しい気がするし、現にキリル文字は顔文字で使われる以外は「なじみのないもの」というイメージが定着している印象があります。
そして、「なじみのないもの」は、概して「難しい」か「近寄りがたい」という風に思われがちです。
ですが、キリル文字は(他の文字を新しく覚えるのに比べたら)全然難しくないよ、という話をしたいと思います。
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キリル文字とは
キリル文字とは、ギリシャ正教圏や旧ソ連地域で多く使われるアルファベットのこと。
キリル文字を使う言語の中で一番有名で影響力ある言語はロシア語でしょう。そのせいか、日本ではキリル文字のことをよく「ロシア文字」と呼びます。
ですがこれは間違い。ロシア文字とは「ロシア語で使われるキリル文字」のこと。つまりロシア文字とはキリル文字のあくまで一部です。
なので「ロシア文字=キリル文字」ではないことに注意しましょう。
キリル文字が発明されたのは、10世紀のブルガリア。
もともとスラヴ人には、9世紀にキュリロスとメトディオスがモラヴィアでの布教に際して作ったグラゴル文字がありました。
その後当地でグラゴル文字が廃止され、グラゴル文字を使っていた聖職者たちがブルガリアに逃避。そこでグラゴル文字を使おうとしたものの、
- 文字が複雑すぎ
- もともとブルガリアでもギリシャ文字で書く層が一定数いた
といった理由で、ギリシャ文字をベースにしながら、ギリシャ文字では表せない音にグラゴル文字から借り入れる、もしくは全く新しい文字を創ることでキリル文字が作られました。
キリル文字の歴史に関しては、『古代スラヴ語の世界史』という本で詳しく書かれています。十把一絡げにされがちなスラヴ語たちの歴史が読みやすくまとまっていますよ。
この本については、このブログでもちょっとした書評を書いてます。ご興味があればどうぞ。↓
キリル文字(ロシア文字)が難しくない理由
「キリル文字は難しくない」と題したものの、僕はキリル文字を使う言語ではロシア語しかやってないので、ロシア語だけの話になります。
なので、ここでキリル文字とはいってもロシア文字の話になりますね。
理由は以下の3つ。
- キリル文字はアルファベットである
- ラテン文字と似た文字がいくつもある
- 例外がかなり少ない
順番に見ていきましょう。
理由1:キリル文字はアルファベットである
キリル文字は、アルファベットに分類される文字です。
「え? アルファベット? アルファベットって英語で使う文字のことでしょ?」という方もいるでしょうが、それは正しくありません。
そういう方は別記事『「アルファベット」「ローマ字」「ラテン文字」の違いとは?』にて詳細を書きましたので、あわせてご覧ください。
上の記事にも書きましたが、アルファベットとは、「一つの文字が一つの音素に対応する表音文字体系」のことをいいます。抽象度の高い文字です。
ようするに、1つの子音や母音に対して1文字が当てがわれている文字だと思ってください。
さて、アルファベットには、みなさんお馴染みのものがありますよね。そう、英語で使われるラテン文字(ラテンアルファベット)です。これもアルファベットの一種。元々ラテン語に使われていたからラテンアルファベット。
私たち日本人は音節文字と表語文字を使いますが、ラテン文字にもとっても馴染んでいますよね。日本では「アルファベット」といえばラテン文字のことをいうくらい馴染んでいます。
アルファベットのいいところは、子音と母音が両方ちゃんと書いてあること。つまり発音の規則を覚えれば、文字を見ただけで発音が完ぺきに分かります。
キリル文字もアルファベットなので、子音と母音をちゃんと表記します。こういう点ではかなりハードルが下がると言えるでしょう。
「子音と母音をはっきり書くのって普通でしょ」? と思ったあなた。いえいえ、そんなことありませんよ。
世界には、当然アルファベットではない文字も存在します。たとえば、
- アラビア文字やヘブライ文字
- (中国語の)漢字
- インドの言語の文字
……など。
アラビア文字やヘブライ文字は学習者向けの教科書等をのぞいて、母音を書きません。こういう文字を「アブジャド」と呼ばびます。さらに右から左へ書くという。
母音をちゃんと書く&左から右への表記に慣れている人にはかなり覚えるのが大変です。母音を書かないので、一般的なテキストを読めるようになるだけでも一苦労。
中国語の漢字については特に説明は要りませんね。日本人も漢字を使うのである程度アドバンテージがあるでしょう。
が、中国語はあくまで別言語。声調のついた発音を一文字一文字覚えなければならず、かなり効率が悪いですね。
子音と母音をはっきり書いているかというと、まあ当然書いてないですよね。なので学習者はピンインなり注音符号といった別の文字体系に頼ることになります。
デーヴァナーガリーをはじめとするインド系の文字は「アブギダ」といいます。音節文字の一種ですが、原形は特定の子音+特定の母音を表し、文字に符号を書き加えることで母音の部分を変えます。
イメージとしては、日本語の「シャ行」のカナのようなものです(「シ」に小さいヤユヨを加えて母音を変えるから)。
こうしてみるとインド系の文字はちゃんと母音を書くので一見簡単そうかもしれません。が、僕たちが慣れ親しんだ仮名&漢字やラテン文字とは系統的に関係がないので、一から覚えなければいけないのも大変ですね。
ここから、キリル文字が難しくない2つめの理由につながっていきます。
理由2:ラテン文字と似た文字がいくつもある
キリル文字が難しくない理由その2は、「ラテン文字と似た文字がいくつもある」ということ。
ロシア語で使われているキリル文字のなかで、ラテン文字と形が似ているものをあげてみました。
キリル文字 | ラテン文字 |
---|---|
А/а | A/a |
В/вとБ/б | B/b |
Е/е | E/e |
К/к | K/k |
М/м | M/m |
Н/н | H/h |
О/о | O/o |
Р/р | P/p |
С/с | C/c |
Т/т | T/t |
У/у | Y/y |
Х/х | X/x |
ものによっては形が微妙に違いますが(キリル文字の小文字は大文字をそのまま小さくしたものが多いですね)。
その中でも、
- А/аとA/a
- Е/еとE/e
- К/кとK/k
- М/мとM/m
- О/оとO/o
- Т/тとT/t
は両者とも発音もほとんど同じです(まあ言語による違いはあるにせよ大体は)。Б/бとB/bも、なんとなく形が似ているうえ、同じB音を表します。
となると、覚えるべきは形が違うГ、Д、Ё、Ж、З、И、Й、Л、П、Ф、Ц、Ч、Ш、Щ、Ъ、Ы、Ь、Э、Ю、Яの20文字と、ラテン文字と似ていても音素が違うH、Р、У、Хの4文字。
合計24文字なら、ラテン文字を最初から覚えるよりも簡単です。
同じアルファベットでも、学んでいない人には何が子音字で何が母音字か分からないジョージア文字やアルメニア文字を覚えるよりも簡単ですよ。
そういえば、キリル文字じたいがギリシャ文字をベースにして、ギリシャ文字で表せない音をグラゴル文字を使ったりして作ったもの。この記事の最初の方でも書きました。
ラテン文字もギリシャ文字から発展しているので、ある程度形が似ているのも納得がいきますね。
もっとも、セルビア語やモンゴル語などはロシア語とは使う文字が少し違うので、それにしたがって難易度は上下します。
理由3:例外がかなり少ない
僕はロシア語以外のキリル文字は知らないものの、発音のスペリングの関係という点では、ロシア語には例外がほとんどないです。
表記に例外が多いことで悪名高いのは英語ですね。アルファベットという表音文字で書いているにも関わらず、1つの書き方に複数の発音があったりします(例:ou)。
これだと何のために表音文字を使っているのか最早分からなくなります。表音文字を使った表記の発音を知るために別の表音文字を使うって何笑
その点ロシア語の例外は少ないですね(というか多分全くない)。アクセントのない母音が弱くなることはありますが、そこも規則なので規則を覚えれば何も問題ありません。
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キリル文字(ロシア文字)の一覧と読み方
キリル文字は数が多いので、全部をあげるのは正直無理です。
なので、キリル文字を使う言語の代表としてロシア語の文字(=ロシア文字)を一覧にします。
大文字 | 小文字 | 読み方(カタカナ) | 発音 |
---|---|---|---|
А | а | アー | /a/ |
Б | б | ベー | /b/ |
В | в | ヴェー | /v/ |
Г | г | ゲー | /g/ |
Д | д | デー | /d/ |
Е | е | イェー | /je/ |
Ё | ё | ヨー | /jo/ |
Ж | ж | ジェー | /ʐ/ |
З | з | ゼー | /z/ |
И | и | イー | /i/ |
Й | й | イー・クラートカイェ(и краткое) | /j/ |
К | к | カー | /k/ |
Л | л | エル | /l/ |
М | м | エム | /m/ |
Н | н | エン | /n/ |
О | о | オー | /o/ |
П | п | ペー | /p/ |
Р | р | エル | /r/ |
С | с | エス | /s/ |
Т | т | テー | /t/ |
У | у | ウー | /u/ |
Ф | ф | エフ | /f/ |
Х | х | ハー | /x/ |
Ц | ц | ツェー | /ts/ |
Ч | ч | チェー | /tɕ/ |
Ш | ш | シャー | /ʂ/ |
Щ | щ | シシャー | /ɕɕ/ |
Ъ | ъ | トヴョールドゥイ・ズナーク(твёрдый знак) | 直前の子音を硬音にする |
Ы | ы | ウィとかウに近い感じ | [ɨ] |
Ь | ь | ミャーフキー・ズナーク(мягкий знак) | 直前の子音を軟音にする |
Э | э | エー | /e/ |
Ю | ю | ユー | /ju/ |
Я | я | ヤー | /ja/ |
もちろんこれはロシア語で使われるキリル文字(=ロシア文字)なので、キリル文字全体から見れば一部にすぎません。
たとえばセルビア語で使われるЂやЉ、モンゴル語などで使われるӨ、ウクライナ語で使われるЇなどなど、ロシア文字以外にもキリル文字はたくさんありますよ。
ちょうど英語で使われる文字がラテン文字の全てなのではなく、他にもßやØ、Þ、Łなどの文字があるのと同様ですね。
キリル文字を使う言語
キリル文字表記を使う言語の一部を紹介します。
ヨーロッパ | ロシア語、ベラルーシ語、ウクライナ語、セルビア語、ブルガリア語、モンテネグロ語、マケドニア語 |
---|---|
アジア | ブリヤート語、カザフ語、ウズベク語、タジク語、タタール語、エルジャ語、オセット語、アブハズ語、モンゴル語、サハ語 |
先ほどキリル文字は「ギリシャ正教圏や旧ソ連地域で多く使われる」と書きましたが、もちろん旧ソ連地域やロシア国内だからってキリル文字で書かれるとは限りません。
たとえば西ロシアのフィンランドに近いあたりのカレリア語はラテン文字表記です。
また旧ソ連のウズベキスタンやトルクメニスタン、カザフスタン、アゼルバイジャンではラテン文字化が公式に決定されています(ウズベキスタンは両方の文字がまだ混在してましたが)。
セルビア語などラテン文字とキリル文字の両方を正書法に定めている言語もあります。そしてギリシャ語は当然、ギリシャ文字で書かれます。
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まとめ
以上、キリル文字はみんなが思っているほど難しくないよという話をしました。
この記事のポイントは、
- キリル文字はアルファベットなので一文字が一つの子音or母音に対応している
- キリル文字にはラテン文字に形が似ている文字がある(+似てる&発音が同じものもある)
- 例外が少ない
です。
キリル文字はアルファベットであり、かつラテン文字と先祖がほとんど同じなので、新しい文字を学ぶと言ってもかなり容易。
特にアラビア文字などと比べると、難易度の差は歴然です。僕もアラビア語を一時期かじっていましたが文字だけでかなり時間かかりました。
同じアルファベットでもラテン文字と似ているのと似てないのとでは大違い(アルメニア文字とか)。
ロシア語、結構面白いですよ。興味ある方はチャレンジしてみて下さいね。発音が鬼のように難しいけど。
Thumbnail Credit: Марьян Блан | @marjanblan on Unsplash
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