こんにちは。めいげつです。

かの杉原千畝が何千もの命をつないだリトアニア。北の大地の荒涼たる雪原を行くと辿り着くのは、何千もの十字架が無言でたたずむ小さな丘。白に閉ざされた世界に、それは突然姿を現します。

今回は旅の記録第4弾。リトアニア・シャウレイの十字架の丘に行ったときの記録です。

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幾千の十字架の立つ丘

十字の丘(Kryžių kalnas/Hill of Crosses)というのは、リトアニア北部のシャウレイ(Šiauliai)という街からしばらく行った先にある丘。

その名が示す通り、丘の上には何百何千、何万もの十字架が立っています。

最初に十字架が立てられたのは、ロシア帝国時代の1853年。ロシア帝国に対する反乱の後で、その犠牲者の親族がこの丘に十字架を建てたことが始まりとされています。

その後十字架の数は次第に増えていき、20世紀始めには聖なる地として知られるようになりました。

リトアニアは1918年に独立しますが、第二次大戦がはじまるとすぐにソ連に併合されます。無神論を掲げるソ連政府はこの丘を有害とみなし、十字架を破壊したり燃やしたりなどして撲滅を図ります。

次第に破壊行為は秘密性をなくし、ブルドーザーを使うなど大々的に行われるようになります。丘の周囲をKGB職員が監視するにまでなっても、十字架の丘は再生し続けました。

リトアニアの独立後、1993年9月に当時のローマ教皇ヨハネ=パウロ2世が訪れて以降世界的に有名になりました。現在はユネスコの無形文化遺産「リトアニアの十字架の手工芸とその象徴
(Cross-crafting and its symbolism)」の一部になっています。

シャウレイから最寄りのバス停ドマンタイへ

十字架の丘へは、シャウレイの中心地のバスターミナルからバスに乗り、ドマンタイ(Domantai)というバス停で降ります。

シャウレイのバスターミナルからドマンタイ行きのバスが出ています。

↑バスターミナルはここ。ショッピングセンターが併設されているので、ショッピングをするなり、昼食をとるなりコーヒーを頂くなりしながらバスを待つことができます。けっこうきれいなシッピングセンターで、おしゃれな店やレストランもありますよ。

僕ら3人はここの4階のレストランで昼食をとりました。

そういえばここの電器屋スタンド(?)で無くしてたiPhoneのUSBコードを買ったなあ。

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十字架の丘へ、凍てつく大地をゆく

というわけでシャウレイのバスターミナルでバスに乗って、十字架の丘最寄りのドマンタイに向かいました。

実はこのバスの中でひと悶着ありまして。僕が買ったチケットには席番号が記載されていましたが、バスに乗ってい見ると荷物で僕の席を独占しているおばさんがいて。しつこく主張した結果何とか座らせてもらえました。

十字架の丘には観光客が多く来るせいかバスの運転手さんは慣れているようで、ドマンタイに着いたときに僕らに「Domantai!!!」と叫んでくれました。

バスを降りる時の「Ačiū(アチュー、ありがとう)!」も忘れない。

ついに十字架の丘に行けるんだ! ……とはいっても、ドマンタイ周辺は道路が一本あるのみ。十字架どころか丘のような地形もほとんど見えない、広い広い荒涼とした、寒々しい大地が広がるのみです。

そこから舗装されていない道を20分ほど辛抱強く歩くと、駐車場やお土産屋のある建物があります。十字の丘はそこからすぐ。

人里離れた雪原に突如現れる、十字架に覆われた丘。真っ白な大地の向こうに無数の十字架が立っている光景は、まるでモノクロの世界。

地面は雪に覆われ一面真っ白、空は雲に覆われこれもまた一面真っ白。その2つの城のはざまに、寒々しく葉を落とした木々と、重々しい府に気の無数の十字架がみえます。

お自分たちの足音以外は何も聞こえません。

(写真に映っているのは同行者です)

近づいてみると十字架だけでなく、十字架の模様がある碑のようなものも混ざっていることに気づきます。ベンチがあるのは来訪者向けの休憩場所として、でしょうか。

ひとくちに十字架とは言っても形やサイズは様々。人の背丈をゆうに超えるものや、片手ほどのサイズのもの、木製だった金属製だったり、石でできていたり。

2月という真冬の時期のため木々の葉も落ち、遠くから十字架の丘を見た時はまるで白くの写真のようでした。

しかしいざ十字架の中に迷い込んでみると、物々しさと同時に、白黒だった世界にわずかながら色彩が戻ってきたように感じます。それでも寒々しいのは変わりありませんが。

遊歩道の両サイドにも十字架がぎっしり。リトアニアの十字架はキリスト教以前の多神教の影響が残っているものも多く、ここでもそのリトアニアならではの独特なデザインの十字架を見ることができます。

この写真の中にあるものだけでも、家のようなものがついている十字架、仏様の後光のような輪っかがついたもの、ギザギザ模様……など多くの種類があるのが分かります。

他のヨーロッパの国々の教会によくあるような、飾りの少ない綺麗な十字架は、ここでは少数派なのかも知れません。

天辺まで登ると、案外高さがあることが分かります。

十字架に交じってダビデの星も見えますね。

雪に埋もれた十字架は、春の始まりに雪解けとともにその姿を現すのでしょう。

同行者の一人に正教を信じている人がいたのですが、彼も自分の十字架を置いていきました(写真のものではないですが)。これだけ多くの十字架が一か所に集まっているのをみて、彼も感じるものがあったのかもしれません。

僕はほぼ無神論者な上に十字架も持ち合わせがなかったので、ただ十字架たちの間をすり抜けるように歩くのみでしたが。

メインの一番大きな丘の裏にも、もう一つ小さな十字架の丘があります。ここは特に観光客向けに整備されているでもなく、雑多に十字架が突き立てられている印象。

……とはいえ、ここに十字架を建てた人の思いに変わりはないでしょう。

この小さい十字架の丘の向こうにはフランシスコ修道院があります。割と新しめの、重厚感のある建物でした。2000年に完成したそうです。写真は撮り忘れたので、Visit Lithuaniaのサイトでどうぞ。

少し丘から離れたところにまで十字架が立っています。ロシア帝国やソ連政府に破壊されたものも含めて、一体今までいくつの十字架が立ったのでしょう。どれだけの人々がこの地を訪れ、十字架を立てていったのでしょう。

リトアニアは、中世ではヨーロッパ随一の版図を誇る大国でしたが、18世紀にいわゆる「ポーランド分割」で国が消滅してからは、大国の支配下にありました。その後1918年と1991年に独立をしたものの、18世紀以前に比べれば面積はかなり小さくなってしまいました。

そんなリトアニアにとって、この場所は大国の支配への抵抗を象徴的する場所なのでしょう。

近世に一度消滅したリトアニア国家の「連続性」について、別の記事で書いています。

帰路につきます。少し離れたところに、四阿のような、休憩所のような建物がありました。吹きさらしでさすがに寒いのですぐに離れましたが。

帰りも実は問題がありまして。ここからまた15分ほどかけてドマンタイのバス停まで行ったのですが、待てど暮らせどバスが来ないのです。

結局しびれを切らせて、お土産屋さんのあるツーリストセンターまで戻り、タクシーを呼んでもらいました。その時居合わせたのは偶然にも日本人のカップル。久しぶりに日本語で会話しましたね。

僕ら3人と彼ら2人、計5人でタクシーに押し入り、タクシー代を折半しました。そのまま旅は続き、次の目的地であったカウナスへ向かいました。

最後に

いかがでしたでしょうか。十字架の丘はアクセスがあまり良くありませんが、リトアニア旅行をするなら絶対に外せないスポットです。真冬の雪に閉ざされた十字架の丘は、まさに白黒の世界でした。

一方夏の十字の丘は緑に囲まれてまた違った姿を見せるようです。どちらのほうが良いかは、みなさんの判断にお任せするとしましょう。

ちなみに僕がリトアニアに興味を持つきっかけになったのが、グラフィック社から出ている、口尾麻美さんの著書『旅するリトアニア』。十字架の街シャウレイやトラカイ城だけでなく、リトアニアの様々な地方での旅と人々との触れ合いを描いた本。

この記事で紹介した十字架の丘や、リトアニアのピンク色の冷たいスープ・シャルティバルシチャイを知ったのもこの本のおかげ。シャルティバルシチャイのレシピのあります。

素朴で美しいリトアニアの風景を映した綺麗な写真で、読んだ人をこの不思議なバルトの国リトアニアに誘ってくれます。

(ちなみにシャルティバルシチャイは僕が全日本人におすすめしたいヨーロッパ料理です。「欧州18ヶ国旅した20代男子が日本人におすすめするヨーロッパ料理5選」で詳しく書いています)

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