今から150年ほど前、日本は明治維新を経験し西欧を目標とした近代化政策を推し進めました。1905年には北の大国ロシアに戦争を挑み、様々な戦略が功を奏し辛くも勝利を収めました。

ロシアに対する極東の小国の勝利に沸いたのは何も日本だけではありません。ロシアの征服下にあった様々な民族の人々も、同じように日本の勝利に勇気づけられたのです。

その日露戦争の意外な結果に沸き立つ中、バルト海沿岸のリトアニアに、遠く離れたこの異国を思い1冊の本にまとめた人がいます。それがステポナス・カイリース。今回紹介する本の主人公です。

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『坂の上のヤポーニア』

リトアニアと日本と聞くと真っ先に思い浮かぶのが、ポーランドからの難民6000人に通過ビザを発行した在カウナス日本国領事の杉原千畝のこと。

ですが今回はそれよりもずっと前、日露戦争終戦直後まで遡ります。大国ロシアを破った日本に魅せられたリトアニア人青年のお話です。

100年以上前のリトアニアで、ベストセラーになった日本論があった!
本書は、日露戦争における日本の奇跡的な勝利に沸いたリトアニアの青年が一気に書き上げた日本論を本邦初公開しつつ、著者の数奇な運命と小国の過酷な歴史を描いた1冊です。2009年にこの日本論の存在を知り、著者(ステポナス・カイリース)のことが知りたくなり、2010年6月に取材。夏に一気に書き下ろしましたバルトの小国を通してネイションステート(国民がつくる国家)の意義を考え、日本のこと,台湾のことまで思いを新たにしました。巻末に、元国家元首ランズヴェルギス氏のインタビューを収録。

BOOKS | 平野久美子 -HILANO KUMIKO- より抜粋

今から数えること100年以上前の1906年に、リトアニア(当時はロシアの一部)初の日本論を上梓したリトアニア人青年ステポナス・カイリース(Steponas Kairys)。本書の主人公です。

この本(『坂の上のヤポーニア』)は数年前に何かのきっかけで知ったのですが、まさかリトアニア人が100年前に書いた日本論についての本だったとは。このことを知って俄然興味が出たものです。

著者は主にアジアを扱うノンフィクション作家の平野久美子氏。主に台湾の事を多く書いていらっしゃるようです。

具体的な本の構成はアマゾン等通販サイトに譲りますが、大まかに言えばまずはリトアニアの歴史から始まり、そして本書の半分をカイリースが描いた日本の歴史の抄訳を紹介しつつ筆者のコメントが入ります。

そしてカイリースの生涯がつづられた後、リトアニア独立革命を指導しその後リトアニアの国家元首となったヴィータウタス・ランズベルギス(Vytautas Landsbergis)氏のインタビューと続きます。

リトアニア人青年による100年前の日本論

1900年代前半のヨーロッパには早くも、日本関連の書籍が多くありました。

が、その多くは英語やドイツ語、ロシア語などの大言語のみで出版されていて、話者人口の少ない、影響力の小さい言語では出版されていませんでした。リトアニア語のものも当然ありませんでした。

日本や日本人、人々の習慣や生活についても多くの良書が出版されている。ただ残念なことにどれも我々の言葉ではない。そこで、この本を書くにあたって、日本について知ろうとしていても自分の言葉しかできないリトアニア人の助けになりたいと考えた。

平野久美子『坂の上のヤポーニア』35頁より抜粋

いくら当時のリトアニアがロシア帝国の領土であったとはいえ、全てのリトアニア人がロシア語を理解できたわけではありません。カイリースは自分たちの仲間にも日本と言う当時話題沸騰の国を紹介したかったのです。

カイリースの日本論は手に取りやすいサイズのブックレットの3巻構成だったそうです。

マルチリンガルであったカイリースは、ロシア語やドイツ語で出版されたこれらの「良書」をひもとき、日本の歴史や政治形態、そして日本人の気質についてまとめました。

詳しい内容は本書に譲りますが、カイリースは神話の時代から、おおむね正確に日本の歴史を記述します。日本人の気質や政治形態についても言及しています。

日本人の気質をかなりベタ褒めしているのは、なんだか「逝きし世の面影」で描かれた幕末期に訪れたヨーロッパ人の述懐を連想させます。

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祖国リトアニアを誰よりも愛したひと

日本の歴史はまあ僕らにとっては非常になじみのある内容です。それよりも、僕の興味を惹いたのはカイリースの生涯。

カイリースはウジュンヴェジャイ(Užunvėžiai)という小さな村の生まれ。小さい頃から優秀だったようで、すぐに母語のほかにもロシア語やポーランド語を取得したとか。

カイリースの生きた時代はリトアニアにとってまさに激動の時代。ロシア帝国が崩壊しリトアニアが束の間の独立を享受しますが、第二次大戦が始まると今度はソ連に占領され、以後1991年の独立まで東側陣営の構成国として冷戦時代を過ごします。

カイリースは高校を卒業するまで現在でいうリトアニア(当時はロシア帝国の一部)で過ごした後、ペテルブルクの大学に通います。

日露戦争でロシアが日本に敗北したのはまさにその頃。この出来事は他の非ロシア人学生にとってと同じく、彼に大きな影響を及ぼしたようです。

カイリースは日露戦争終戦後にかの日本論を出版し、リトアニアが共和国となった後は評議会の第一副議長に指名されます。が、当時大統領であったスメトナ(実は彼の学生時代からの親友)と考え方の違いから袂を分かちます。

そしてカウナスでエンジニアとして下水道の整備をするなど尽力し。第二次大戦が始まってからはソ連やドイツからも追われる身になり、51年にアメリカへ亡命。祖国の大地を再び踏むこともなく1964年にこの世を去りました。

僕の印象に強く残っているのが、本書の冒頭にあるカイリースが東京オリンピックの開会式をテレビで眺めるシーン。

テレビの中で様々な国の選手団が威風堂々と行進しています。レバノンやリビアと「L」で始まる国の選手たちが行進する中、リトアニアは当時ソ連の一部だったためリトアニアの選手団はなし

一度も自分たちの土地を他国に支配されなかった日本に生まれ育った僕には理解できない感情なのでしょう。それでも、このシーンはかなりグサリと刺さりました。

リトアニア国家の「復元」

もう一つ印象的だったのが第7章でヴィータウタス・ランズベルギス氏が言及した「国家の連続性」。

リトアニアは十八世紀まで多くの民族が共存していた大国だったのですが、一九一八年に国家を復元した時には、領土も民族もずっと小さくなっていました。ダウンサイズしたのです。日本が明治維新によって新しい国家に生まれ変わったのとは事情が違います。日本は国の大きさが変わったり、民族が変わったりはしなかったでしょう?

平野久美子『坂の上のヤポーニア』220頁より抜粋 太字は筆者(めいげつ)

かつてリトアニアはヨーロッパの大国でした。ゲディミナス(Gediminas)大公の在位時にバルト海から黒海まで広がる広大な領土を確立し、16世紀にはポーランドと連合王国になります。

リトアニア人たちは中世の時代にすでに自分たちの国を持っていたのです。

ですがその後いわゆる「ポーランド分割」によって彼らの国は消え去ったのです。

なので1918年にリトアニア共和国が成立した時も、彼らリトアニアの人々にとって「独立」ではなく「国家の復元」だったわけです。これは1991年にソ連が崩壊したときも同じこと。

リトアニア人は自分たちの国家を「復元」できたものの、中世ヨーロッパ最大級の領土を有していた頃に比べ、国土は非常に小さくなってしまいました。

こうして考えると日本は正反対の国。基本的に国家が途切れたこともなければ、侵略によって領土が大きく減ったこともないので、この辺りの感慨は当人たちでないと分からないことだろうと思います。

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最後に

日本と他国の関係を考えるとき、どうしても海外での日本語の普及とか現地に住む日本人とか考えがち(あくまで僕個人の話ですが)。

ですがカイリースのように、日本に興味を持ち同胞に広めようと努めた人が100年前にいたとは、感慨深い限りです。

以上『坂の上のヤポーニア』読んで感じたことを書きなぐってみました。僕はどちらかというと大国よりも小国の歴史に興味があるので、また他の(小)国の歴史にも触れてみたいと思います。リトアニアには2年前にだいぶ駆け足で旅行しましたが、ぜひもう一度訪れてみたいものです。

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