こんにちは。めいげつです。

僕はフィンランドのヘルシンキで留学中、大学の日本語の授業でアシスタントをしていました。

それでとある日本語の授業中に、学生の一人から出たのが「普通と普段の違いってなに」という質問。色々考えてその質問にはちゃんと答えられたと思います。

そんなことをふと思い出したので、ここでは「普通」と「普段」の違いについて、ちょっと詳しめに掘り下げていこうと思います。

「普通」と「普段」という単語の違い、「いや当然違う単語だろ」と思うでしょうが、ちゃんと言語化できますでしょうか。

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「普通」と「普段」の意味

まず「普通」の意味を辞書で確認しましょう。手元に『広辞苑第六版』と『明鏡国語辞典』(ちょっと古いけど)があるのでみてみます。

引用の部分は、表示できない文字などの関係で一部改変しています。

ふ-つう【普通】

①ひろく一般に通ずること。

②どこにでも見受けるようなものであること。なみ。一般。「―の成績」「―に見られる」「―六時に起きる」⇔特別⇔専門。

岩波書店『広辞苑第六版』©岩波書店

ふ-つう【普通】

[一]〘名・形動〙他の同種のものとくらべて特に変わった点がないこと。特別でなく、ありふれていること。
「ごく―の考え」「―とは違った印象」
⇔特殊

[二]〘副〙
 たいてい。一般に。通常。
 「――一週間もあれば完成する工事」
  [表記][二]は、かな書きも多い。

大修館書店『明鏡国語辞典』©KITAHARA YASUO AND TAISHUKAN

まあこの辺りは特に特筆すべきことはないですね。妥当な定義です。

続いて、「普段」の定義を。

ふ-だん【不断】

①絶えないこと。絶え間の無いこと。「―の香をたく」「―の努力」

②(「普段」とも書く)平生。平常。「―はおとなしい人ですがね」「―の心がけ」「―思っていること」
③決断の鈍いこと。にえきらないこと。「優柔―」

岩波書店『広辞苑第六版』©岩波書店

ふ-だん【不断・普段】

〘名〙
①㋐絶え間なく続くこと。
 「―の努力を怠らない」
 ㋑決断力に乏しいこと。
 「優柔―」

②〘副〙つねひごろ。平生(へいぜい)。
「―の心がけが大切だ」「―酒は飲まない」

大修館書店『明鏡国語辞典』©Kitahara yasuo and taishukan

どちらの辞書にも「普段」にはいくつかの定義がされていますが、よく使うのは太字にしたものでしょう。

しかし「普段」という言葉は「不断」という言葉を当て字にしたものなんですね。

まあ「絶え間なく続く」というのはある意味で「つねひごろ」に関連したことがあると思えるので、納得できます。

「普通」と「普段」の違いは?

さて冒頭で少しお話ししたヘルシンキの日本語クラスでは、何とか「普通」と「普段」の違いを説明できました。

僕は「普通」と「普段」を使った例文をそれぞれ作ってみると、なるほどしっかりと違いを意識できるようになったものです。

ここではその時の感覚をもと「普通」と「普段」の意味の違いを掘り下げていきますね。

「普通」と「普段」を説明するとき、大きな違いは「言及される人の数」である、と僕は考えております。

「普通」という言葉は、不特定多数の人の行動を対象とするのに対し、「普段」は一人の人間か、複数人でもある程度特定された人の行為を対象にしています。

先に挙げた広辞苑の「普通の成績」は、多くの平凡な人がとりそうな成績のことですね。

明鏡の「ごく普通の考え」は大多数の人が持ちそうな考えをいうし、「普通とは違った印象」とは「普通」とされる大多数の人とは印象が違うということ。

一方「普段はおとなしい人ですがね」は、特定の一人の人間はおとなしい人であると言っていますし、「普段の心がけが大切だ」も、一般論を述べてはいても主語は一人の人間です。

こんな風によく似た単語の違いは、例文をいくつか作って対比させてみると、案外すっきりと腑に落ちる回答を得られます。

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さて、「普通」という言葉なんだけどさ

ちょっとここでは世の中で多用される「普通」とうい言葉について思うところをつらつら書いてゆきます。

「普通」とは便利な言葉です。「言葉の暴力」と言えるくらいに便利な言葉。

例えば誰かが社会一般に通用する理念に反する意見を述べているとして、「普通」という言葉を使えば、その人を簡単に、そしてある意味暴力的に相手をねじ伏せられます

「普通」を使う人はめっぽう強いです。なんせ、背後には無数の人が今まで築き上げてきた「普通」「常識」という超強力で堅固な後ろ盾を得られるから。

この「普通」という言葉の前に、どれだけの人の心が押しつぶされていったんでしょうね。まあ社会っていうものは残酷なので、そういう一面もあって然るべきなのかも知れませんが。

ただちょっと遠巻きに見ると、「普通」を使うことにはある種のリスクがあります。

辞書の定義がすべてではないですが、広辞苑の定義を見ると、僕らがよく使う「普通」がいかに人間の見識が狭いものかを表してくれるでしょう。

広辞苑のいう「ひろく一般に通ずる」ことや「どこにでも見受けるような」ものなど、ひとたび場所を変えてしまえば違うもの。ところ違えば、何が「普通」なのかも異なります

そして同時に「普通」という言葉を使うことは、その人が特定の価値観やコミュニティに属していることを示すいい標識になりますね。そして「普通」という言葉を使う時は、たいていその価値観を押し付けている時です。

僕も完璧人間になろうとしているわけじゃないけれど、「自分の価値観を押し付ける」ことは弁護の余地がないくらい悪に思えるので、「普通」はできるだけ使わないようにしています。

使われた相手と僕が同じ「普通」を持つなら良いけど、そんなこと滅多にないし、たいていの場合「お前の普通なんか知らねえよ」ってなりますよね。特に異なる文化背景をもつ人同士のコミュニケーションでは。

normal(普通)はnorm(規範)からきている

さて、少し英語の話をします。

英語で「普通」はnormalというのは多くの人が知っていると思います。日本語でも「ノーマル」って言う人も少なくないでしょう。

このnormalは日本語の「普段」もある程度カバーするような単語です。

さて、ここで語源の問題。このnormalという単語はどこから来ているのでしょうか?

英語をある程度勉強した方なら分かるでしょう。normという言葉から来ております。まあ正確に言えば、元のラテン語normalisがnormaから来ているのですが、normalとnormが同じ語根を持っていることは間違いないかと。

normはnormalよりも使用頻度が低いので知らない人もいるかも知れませんが、このnormという単語は「標準」とか「規範」という意味です。

そう、「規範」なんですよ。「普通」っていうのは一種の規範なんです。

だってそうではありませんか? 「普通」には多くの人が従ってしかるべき、1つのルールのような響きがあります。

まあルールというと言い過ぎかも知れませんが、そこからはずれると時には嫌な印象を持たれたりする(=罰を受ける)あたり、ある種のルールであると言えるでしょう。

社会にある一定の「規範」があることは、おそらく社会というものの特性上仕方のないことでしょうし、逆に「規範」がない社会はうまく回らないのだと思います。

法律だって一種の「規範」ですよね。自由とは「法」とか「規範」の余白の部分。各人の自由も規範によって決まります。

そうでなければ(=「規範」がない社会では)日々色々なところで大小さまざまなトラブルが起こるはず。その無法状態から社会は進展する可能性はとても低いと思われます。

ですが人間はもともと多様なので、1つの「規範」をこれと定めてしまうとそこから漏れる人が出てくるのは必定ですよね。社会というものの先天性の宿痾のようなものです。そこに生きづらさが生じる。

生きづらさを抱える人が声を上げ、マジョリティがそれに応え、社会の規範が変わる。それでもまさまだ生きづらい人はいる。多分この歩みは永遠に終わらないでしょう。

それでもこうしてより少しずつ「規範」を変え、多くの人々を包摂していくことで、少しずつ社会というものが「進歩」していくのでしょう。

以上、長々とくだらないことを書きました。これにて失礼。

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