ここ数年、「教養」という言葉をよく目にする・耳にするようになったと思いませんか。
これからのビジネスマンは教養をつけるべきとか、予測不可能な世界では教養が役立つとか、世界で戦うには教養が必須とか、教養としてのアニメとか……
何となく独り歩きしている感じになっているこの「教養」の言葉の意味を、自分なりに4つほどに分けてみました。
ここで挙げる意味は辞書に書いてあるでもなく、どこかのお偉いさんが言ったでもなく、単に僕が個人的なイメージや偏見でまとめただけのものです。
それでも、この「教養」という言葉について考える助けになれば、僕は嬉しく思います。
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教養とは、歴史や文学、芸術などの知識
おそらく最も言われるであろう「教養」の意味がこれでしょうか。
個人的な印象になりますが、「教養がある」と言われるような人はこういった歴史や文学、芸術などの分野に造詣が深い人というイメージがあります。
日本史や世界史はもちろん、古典文学だったり、茶道や生け花だったり(同じ「道」でも武道は違うかも)、西洋美術に詳しい人だったりなどなど。
この場合は歴史文学芸術に限定せず、広く「人文知」といっても申し分ないかも知れません。
昨今何かと「教養を高めよう」みたいなことが叫ばれますが、この場合の「教養」って何よと考えた場合に、まずこういった知識が最初に浮んでくるかと。
言ってしまえば「お金を稼ぐのに役に立たないと思われがちな分野」でしょうか。
たとえば科学的な分野、あるいはビジネスに詳しい人に対して、その知識を取り上げて「教養がある」という言い方はあまりしないように思えます。
こういう人たちにも歴史文学芸術に造詣が深い人は結構いますがね。
ただ、知識が深くてもあまり範囲が狭すぎるいわゆるオタクのような人には、「教養がある」はあまり使われないかも。
ある程度深くてしかも幅(広がり)がある、というところがミソでしょうか。
教養とは、専門分野以外の知識
つづいて教養の意味その2。自分の専門分野以外の知識のことを「教養」と呼ぶケース。
まずは専門分野の知識についてですが、特に専門職なら分かりやすいですね。
プログラマーならプログラミング言語やアーキテクチャの、デザイナーならデザインの、翻訳者なら言語やその文化といったところでしょう。ちょっと適当ですみません。
一般的なビジネスパーソンでも、仕事の経験にもとづいた知識や自分の勤める業界の知識、お金・経済あたりの知識を専門知識としていいでしょう。
別にフルタイムで仕事してなくても、学生なら自分の専攻とする分野の知識ですね。
そういった知識をまとめて「専門知識」としておいて、それ以外の知識を「教養」と呼ぶケースも大いにあるように思えます。
『教養としての世界史』『教養としてのプログラミング』『教養としての社会保障』など、「教養としての~」がつく本なんかでいう「教養」とはおそらくこれのこと。
こういった書籍は、その本で扱っている知識に疎い(と自負している)人に向けたものだろうし、その道の専門家ならこういった書籍を手に取る必要はないですよね。
ちなみに『教養としての社会保障』、面白いのでおすすめですよ。
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教養とは、多くの人が知っている物事についての知識
最初の「歴史や文学、芸術などの知識」にも重なる部分がありますが、少し違った角度から。
教養とは、多くの人が知っている物事についての知識である。もっと分かりやすくいえば、日本中もしくは世界中のたくさんの人が知っているような知識。
ちょっと悪い言い方をすれば、「多くの人に話を合わせられるのに役立つ知識」って感じですね。
ただ色々な人と話ができるというのは、それはそれですごいことだと思います。
「教養を深める本」と題して世界文学が挙げられやすいのは、こういった側面もあるように思えます。世界のエリートがシェイクスピアやゲーテを読んでるから、僕らも読んで彼らと対等に話をしよう、みたいな。
もちろん世界文学には世界文学として認められるだけの価値がある(例えば人間や社会についての深い洞察があったり、思考力を高めてくれたりとか)んですが、ただ「文学作品を読んで世界のエリートと何とかかんとか」記事を読むとそういう視点もあるのかなー、と思えてなりません。
しかしこの定義だと、世界中にファンがいるサッカーとかテニスといたスポーツの知識も入りそうですが、スポーツに詳しい人が「教養がある」扱いをしてもらえているかというと、少し疑問ですね。
やはり教養にはある程度、学問っぽさというか、「高尚さ」が必要なのでしょうか。「高尚」って、あんまり良い言葉ではないけど。
教養とは、人生を楽しむための知識全て
そしてもっと広範囲にわたる定義を。教養とは、「人生を楽しむための知識全てである」。
僕が最近追っかけている、還暦でライフネット生命保険を創業した出口治明さん(現APU学長)などはこんな風なことを仰ってますね(はっきりこう言っていたわけではないと思いますが)。
人文学に関係なく、それこそサッカーや将棋などのルールだったり、科学モノの知識だったり。もうそういう「知識」と名の付くもの全部ひっくるめちゃう。
確かに知識が増えれば増えるほど、視野も広がるし、新たな視点から物事が見えてくる。そして色々なことが分かるようになる。それってすごく楽しいことですよね。
伝統的な意味は何にせよ、僕はこの考え方が一番しっくりくるかなと思います。
だって最初の意味はなんか権威主義的で古臭い(悪い意味で)ような気がするし、二番目のものは教養の一面しかとらえられてないような気がするし。三番目は何となく虫が好かない笑
僕が海外旅行の前にその国の歴史や文学、言語なんかを学ぶのも、旅行を楽しみたいがため。
ただこう定義すると、ひっきょうどの知識も「教養」になるので、わざわざ「教養」という言葉を創る必要性もなくなるかも。
まあ、案外そういうものなのかもしれません。
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広辞苑はこう定義している
さて、「教養」は辞書ではどんな定義がされているのでしょうか? 試しに広辞苑をのぞいてみます。
ちょっと古い版のもので恐縮ですが。
きょう – よう【教養】ケウヤウ
①教え育てること。
『広辞苑 第六版』©岩波書店
②(culture(イギリス・フランス)・Bildung(ドイツ))学問・芸術などにより人間性・知性を磨き高めること。その基礎となる文化的内容・知識・振舞い方などは時代や民族の文化理念の変遷に応じて異なる。
……さすが広辞苑。言い得て妙ですね。
まとめ
以上です。いかがでしたでしょうか。
今回は「教養」という言葉の意味について、個人的に4つに分類してみました。
昨今は「教養ブーム」ともいえるほど、「教養」に関する本がたくさん売られていたり、ニュースメディアでも「教養」という言葉をよく目にするようになりました。
そんな中で何となく教養という言葉が独り歩きしているように思えたので、自分なりにまとめてみたのがこれを書いたきっかけ。
確かに教養というのはないよりはあったほうがいいとは思いますが(たぶんあったほうが人生楽しい)、「教養がない」からといって人間の価値が下がるわけでもないので、その辺自戒しようと思います。
Thumnail Image Credit: Pexels / Pixabay
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