「日本は単民族国家」とか、「日本は単一言語の国」といった言説を耳にしたことのある人は多いのではないでしょうか(本当はそんなことないんだけれど)。
確かに、日本で日本語を母語とする日本人として生まれると、あまり外国語を身近に感じる機会は(自分から探さない限り)あまり多くないかも知れません。それだからか、外国語というのは何となくロマンを感じさせるテーマです。
そんな外国語に興味のある方、外国語の世界を少しのぞいてみたい方に、おすすめのエッセイを集めました。
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エラ・フランシス・サンダース『翻訳できない世界のことば』
言語ひとつひとつには、その言語を使って暮らす人たちの文化や考え方が色濃く反映されています。
そうなると、当然ある言語から他の言語へすっきりと翻訳できないような単語が出てきます。そういった「翻訳できないことば」というのは、外国語関連のエッセイでは定番のテーマですね。
本書『翻訳できない世界のことば』(エラ・フランシス・サンダース著、前田まゆみ訳、創元社)は、ニューヨークタイムズのベストセラーにも選ばれた本。このテーマではおそらく最も有名な本で、ご存知の方もいるはず。
世界各地の言語から著者が選りすぐった「翻訳できないことば」たちが、イラストレータとして活躍する著者の雰囲気抜群なイラストと、数行程度の短いエッセイで紹介されています。
日本語からも、「木漏れ日」や「積ん読」となどいくつかの単語が紹介されていますね。
積読のスケールは、1冊だけのこともあれば、
エラ・フランシス・サンダース著、前田まゆみ訳『翻訳できない世界のことば』創元社 90ページ
大量の読まない蔵書になっていることもあります。
玄関を出るまでに、ページを開いたことのない『大いなる遺産』の本に
いつもつまずいてしまう、知的に見えるあなた。
その本、日の目を見る価値があると思いますよ。
自分の学んだことのある外国語や、自分の母語のなかにはこういった、
- 他の言語に翻訳できそうにないことば
- 「自分の気持ちをすぱっと簡潔に言い表しているな」というような単語
がいくつかあることでしょう。本書はこういう言葉を探すきっかけをになること間違いなし。
かくいう僕も、気づけば日本語や過去に学んだ外国語でそういった単語を探し始め、いくつかメモに書き残していました。
ちなみに当方フィンランド語をそれなりに学習していますが、poronkusema「トナカイが休憩なしで、疲れず移動できる距離(69ページ)」は初耳でした。
ほかにも、旅好きの僕としては、スウェーデン語の「resfeber」という単語に強く惹かれました。
未知の場所に旅立つ日の前夜、とりわけその場所が今いる場所から遠ければ遠いだけ、また旅行期間が長ければ長いだけ、その気持ちは強まります(ゆえに国内旅行ではそこまで感じませんが)。
詳細は、本書を手に取ってみてくださいね。
吉岡乾『なくなりそうな世界のことば』
世界には、数え方によっては数千もの言語が存在するともいわれます。しかし話者数が多かったり、国や公的機関の公用語の地位がある言語は、その中でも少数です。
残りの言語は公用語の地位がなかったり、話者数が減っていく一方の少数言語だったり。経済的アドバンテージのある言語が加速度的に幅を利かせていく一方で、こういった消滅の危機にあるような言語だってあるのです。
身近な例では、アイヌ語などがそうです。
本書『なくなりそうな世界のことば』(吉岡乾著、創元社)は、前の本と似たようなコンセプトの本です。出版社も同じ創元社。
ただしこちらは単語よりも言語に目を向ける趣旨のもので、書いた人もフィールド言語学の専門家。
世界中に存在する「絶滅の危機に瀕している言語」の専門家に聞いて、「その言語らしい」単語を一つ紹介しています。
一つの単語に着き見開きの2ページが使われていて、片方に大きなイラストと、もう片方にちょっとしたエッセイとその言語についての簡潔な情報も。
たとえば、ウェールズ語のHIRAETH「もう帰れない場所に帰りたいと思う気持ち」(16ページ)のようにおそらく普遍的な人間の心情をあらわす単語とか、
トゥバ語のXÖPEEN「刈り取った牧草を数日間干すために集めた堆積」(28ページ)やカラーシャ語のPAYRAK「山を越えて向こうの谷へ、境界の彼方へ」(72ページ)など、現地の文化や気候・地理に根差した言葉など。
前述の『翻訳できない世界のことば』が比較的メジャーな言語を多く取り上げているので、その次は本書でマイナー言語の世界をのぞき見してみてはどうでしょうか。
本書の方が分量があって、それだけ多くの言語について書かれています。
今、世界では、メディア・ネット・科学技術の発展とともに、「小さな」ことばが次々に消えて行ってしまっています。その変化は、当然のことです。けれどもその一方で、文化的な価値が等しく高いにもかかわらず、徐々に担い手がいなくなっていく「小さな」ことばたちがあることに気をとめるのも、大切なことです。なぜなら、一度失われてしまった言葉というのは、よみがえることがまずないのですから。
吉岡乾『なくなりそうな世界のことば』創元社 2ページより
ちなみにこの本では、話者人口の大きい順に言語が並べられていいます。つまり、ページを繰るごとに言語の話者数がどんどん減っていきます。
一番最初のアヤクチョ・ケチュア語は、話者数およそ90万人。話者数が5人程度しかいないアイヌ語は、本書の最後のほう。そして最後のページには……
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河出書房新社『わたしの外国語漂流記』
こちらはかなり最近出版されたエッセイ集。
世界中さまざまな言語について、学習した人々の言語や文化に対する思いや、なぜその言語を学ぶに至ったのかなどが綴られています。
英語や中国語、ロシア語のようなメジャー言語から、アムハラ語やサーミ語、グリーンランド語、アカン語、カラーシャ語などの「超」がつくほどのマイナー言語まで。
物語を紡ぐのは、言語学者だったり、コーディネーターだったり、現地の人と結婚して移住した女性だったり、はたまた文化人類学者だったり。
タレントのLiLiCoさんや元プロテニスプレーヤーの杉山愛さんのエッセイもあります。
世界中の色々な言語が飛び出してきて、そのそれぞれを学んだ人のストーリーもまたそれぞれ違ってて面白い。日本で普通に暮らしていては見えてこない世界を、ちょろっと垣間見えるような素晴らしいエッセイが集まっています。
特に僕がおすすめしたいのが第25章。作者はパキスタンで現地の言語を調査している文化人類学者の吉岡乾氏(『なくなりそうな世界のことば』の著者)です。
パキスタンのとある村で展開される、ウルドゥー語やカラーシャ語、カティ語、英語、日本語……と多種多様な言語が入り乱れる団らんのようすが、言語オタクにはたまりません。
MさんがSに英語で”What is mančhí?”(マンチって何?)と尋ねるのが聞こえた。そしてSが僕にブルシャスキー語で≪mančhíe bésan maaní bilá?≫(マンチって何だ?)と伝言ゲームをする。
河出書房新社『わたしの外国語漂流記』218ページ
≪”hír”. nuuristaaníulo hírar séibáan≫(『ヒル(男)』。カティ語で男のことを言うんだよ)
そう答えた後に、隣に座ったAさんが日本語で「今言ったヒルって、何語なの? どういう意味?」と尋ねた。さあ、タフな団欒になるぞ。
すごい世界だー。
黒田龍之助『チェコ語の隙間』
『チェコ語の隙間』(現代書館)は、外国語学習界隈ではおそらくかなり有名な黒田龍之助氏のエッセイ。
著者は『初級ロシア語文法』や『ニューエクスプレス ロシア語』をはじめとした多くの著作をもつ、ロシア語をはじめスラヴ語一般で著名な言語学者。
ヨーロッパとはいえ日本人にはちょっとなじみの薄い東欧、とりわけチェコや旧ユーゴスラヴィア、ブルガリアといったスラヴ語の使われる地域を中心に描いていきます(ハンガリーやルーマニアはスラヴではないので登場しません)。
スラヴ語というのは、主に南東欧からロシア、旧ソ連地域にかけて話されているいくつかの言語をまとめた名前。たとえば、
- ロシア語
- ウクライナ語
- チェコ語
- ポーランド語
- クロアチア語
- ブルガリア語
といった言語がスラヴ語の仲間。著者はこのスラヴ語の専門家です。
スラヴ語に限らず、言語や外国語一般に関わる事柄にも触れています。外国語を学ぼうという方から、旅行で外国を訪れようとしている方にまで参考になるマインドセットもそこかしこで学べます。
ヨーロッパは言わずと知れた多言語社会。ユーラシア大陸の大きさから見れば小さな端っこの地域に、もの国々がひしめき合います。
東欧、なかでも旧ハプスブルク帝国領や、かつて「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたバルカン半島は、まさにその多言語社会の縮図とも言えます。
本書では、とくにチェコと旧ユーゴスラヴィア地域にはかなりページ数が割かれていて、チェコ語の話からチェコの映画(ここが特に詳しい)まで色々なことが書かれています。
旧ユーゴスラヴィアの章も、まるで現地にいてその雑踏が聞こえてくるよう(クロアチア以外行ったことないけど)で、読んでいてまったく飽きが来ません。ところどころで著者の広範なスラヴ語の知識も垣間見えてきます。
読み始めると思わずページをめくっていってしまう、そんなエッセイです。
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稲垣美晴『フィンランド語は猫の言葉』
『フィンランド語は猫の言葉』は、1970年代にヘルシンキ大学に留学した稲垣美晴氏の経験を描いたエッセイ。フィンランドやフィンランド語界隈ではけっこう有名な本かも。
猫の言葉社の単行本をはじめ、講談社や角川書店から文庫本が出ています。一番新しいは角川文庫。
フィンランドも、近年では留学先としてはわりとポピュラーな国になってきたと思います(それでも英米などには比べ物になりませんが)。旅行先として人気なのは言うまでもなく。
教育や幸福度、インテリアデザインといった分野でも注目され、世界のどこかにある小国では最早なくなりました。
著者の稲垣美晴氏は、フィンランド留学のいわば先駆者。今ではポピュラーな滞在先のフィンランドでも、著者が留学した1970年代当時では、日本語⇔フィンランド語の辞書すらありませんでした。あったとすれば、『フィンランド語四週間』というもはや古書然とした学習書一冊のみ(筆者談)。
そんな時代の留学体験談が、フィンランド語という言語を中心に(これも珍しい)、ユーモアたっぷりに語られていきます。引き込まれるような文章で、フィンランド自体に関心がなくてもすらすらと読めることでしょう。
その時の隣人は、タルヤ・サルコヤルビとヴェサ・リンタマキ。タルヤが女でヴェサが男。フィンランド人の名前には慣れていなかったので、タルヤサルコヤルビとヴェサリンタマキという超デタラメ語を暗記するのに、一週間ぐらいかかった。紙に書いて覚えたのだけれど、ちょっと見ないとタルヤのことは、えーと何屋だったかなあと、わからなくなってしまうし、ヴェサの苗字の「リ」を「キ」なんて言いそうになるし、とてもではないけれど、「いざ、卒論!」などという状態ではなかった。
稲垣美晴著『フィンランド語は猫の言葉』講談社文庫 13-14ページ
初めにヘルシンキに降り立った筆者が、フィンランド人のデタラメ(筆者談)な名前とフィンランド語に戸惑う様子。
標準フィンランド語とは違った語形をみせる諸方言をどの方言かを音声を聴いて必死に解明する様子(しかも筆者はクラス唯一の外国人)。そして本書のタイトルにもなった、留学生活終盤に著者が書いた作文……
僕のような言語オタクの興味をそそるような話題から、フィンランド留学を希望する人に有益な情報がてんこ盛りで、時折思わずクスっとさせるような言葉遣いが散りばめられている、そんな感じ。
詳しくは本書をのぞいてみてくださいね。
番外編:杉田玄白『蘭学事始』
番外編として杉田玄白の『蘭学事始(らんがくことはじめ)』を紹介します。
杉田玄白といえば、前野良沢らとともにオランダ語の医術書を翻訳し『解体新書』として出版したことで有名な、江戸後期の医者です。
『蘭学事始』は83歳になった彼が、その医術書を翻訳しようと思い立ったいきさつから、その後の蘭学の発展や蘭学に関わった人々について書き記したもの。
杉田はオランダ語に対しては割とさっぱりした態度で、外国語への興味というよりも医術への貢献のほうにより強い関心を持っていたようですね。
其翌日、良沢が宅に集り、前日の事を語合い、先ツ、彼ターフル・アナトミイの書に打向ヒしに、誠に艫舵なき船の大会に乗出せしが如く、茫洋として寄べきかたなく、たゞあきれにあきれて居たるまでなり。
杉田玄白『蘭学事始』片桐一男全訳注 講談社学術文庫 109ページより
こんな風に、翻訳をする人のみならず、外国語のテキストを目の前にして呆然とするという経験は、時を経ても変わらないものだなと思わされます。
其頃はデのヘットの、又アルス、ウヱルケ等の助語の類も、何れが何れやら心に落付て弁へぬ事ゆへ、少しくは記憶せし語ありても、前後一向にわからぬ事計なり。譬えば、眉(ウヱインブラヽウ)といふものは目の上に生じたる毛なりと有よふなる一句も、彷彿として、長き日の春の一日にハ明らめられず、日暮るまで考へ詰め、互いににらみ合て、僅一二寸計の文章、一行も解し得る事ならぬ事にてありしなり。
杉田玄白『蘭学事始』片桐一男全訳注 講談社学術文庫 110ページより
慣れない言語で、しかも医術書のような高度の内容を、今とは比べられないくらい不便な状況で翻訳する苦しみが描かれています。
その程度の違いはあれ、外国語のテキストを読んだ経験のある人にはうなづけるものだと思います。
といっても外国語に関する部分はさほど多くなく、先ほど書いた蘭学についての記述が大半なので番外編としました。
講談社学術文庫から原文と現代語訳の両方が入った文庫版が出ているので、そちらがおすすめです。一度訳を読んでしまえば、原文もさほど難しくはないですし。
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おまけ:40言語以上のプロたちの体験談が手軽に読める
外務省のサイト「チャレンジ!外国語 外務省の外国語専門家インタビュー」では、現在外交の場で外国語のプロとして働く人たちの体験談が読めます。
2006年の第1回のフィンランド語に始まり、第41回を終えた後は2013年に第2弾が始まっています。
最初の年に銀行口座を開設した時のことです。外国人とみて銀行の担当者は私に英語で説明し、私は「練習だ~」とフィンランド語で返答し・・・とずっとその調子でした。ようやく最後になって、彼女に「あら、あなたフィンランド語話してたの?」と言われた時にはあきれました。研修当初は、つい、話の途中で、日本語で「ええ」と答えてしまい、慌てて訂正したりしていました。フィンランド語でei(エイ)はNOを意味するので・・・。
チャレンジ41カ国語~外務省の外国語専門家インタビュー~
今は外国語を駆使して活躍するプロでも、こうした時期があったかと思うと、頑張ろうという気になりますよね。
まとめ
いかがでしたでしょうか? 今回は外国語や外国語学習についてのおすすめなエッセイを紹介しました。
日本で日本人に生まれついて、日本語だけで生活していると、どうしても外国語の要素が希薄になります。そんなときは、ここで紹介したエッセイで広い世界を感じてみませんか。
Thumbnail Image Credit: ymkaaaaaa on Pixabay
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