どの言語にも歴史があります。

英語、中国語、フランス語などの大言語の歴史はかなり前から語られてきました。日本語も書き言葉の成立が早かったため、古い文献が非常によく残っている言語です。

ヨーロッパの言語の多くにも、昔から文字を使った書き言葉の歴史がありました。ただ現在のヨーロッパ先進国の国語ではあるものの、歴史的には書き言葉の成立が遅かった言語があります。そう、フィンランド語がその一つです。

さて、フィンランド語の歴史とはどのような姿をしているのでしょう。

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スウェーデン時代以前

フィンランド語はウラル語族というグループに分類される言語。英語やドイツ語、ロシア語などが属するインド・ヨーロッパ語族とは、全く異なった祖先をもっています。

フィンランド語に近い言語としては、エストニア語、サーミ語、ハンガリー語とロシアで話されている少数言語(マリ語、モルドヴィン語など)があげられます。

ウラル語族の言語は、ロシアの北東にあるウラル山脈を中心に、東西に広がっています。西はフィンランド語とエストニア語、サーミ語は北ヨーロッパに広がり、ハンガリー語もだいぶ南の方ですがヨーロッパに話者がいる言語です。

東はコミ語やハンティ語などの少数言語がロシアの北東部に、ネネツ語などはカザフスタンと同じ経度のあたりまで進出しています。

さてここからはフィンランド語に絞った話をしましょう。

有史以前のフィンランド語については、あまり多くの事はわかっていません。ヴォルガ川流域から現在の南フィンランドにやってきた人たちが「櫛目文土器文化文化」をもたらしたとされるのですが、その人たちがフィン・ウゴル系の言語を話したとされています。

櫛目文土器文化の後に「闘斧文化」という時期に移ると、バルト諸語やゲルマン諸語などの他の言語の話者と交流していくうちにフィン・ウゴル系の言語は原フィンランド語ともいうべきものになります。

当時のフィンランドには、スオミ(Suomi。このころは南西部の地域のみを差していました)と、南東部のカルヤラ(Karjala、またはカレリア)、内陸部のハメ(Häme)とサヴォ(Savo)という4つの主な文化圏がありました。ハメとサヴォは、おそらく現在のハメーンリンナとサヴォンリンナがある地域だと思われます。

以上が考古学的証拠に基づく大昔のフィンランドの歴史。ここから「フィンランド語の歴史」を紐解いていくにはあまりに資料が少ないため、正書法が考案される16世紀まで待たなければなりません。

スウェーデン時代

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12世紀から18世紀まで(1100~1800年代)、フィンランドはスウェーデン王国の一部でした。首都は現在のトゥルク(Turku)、スウェーデン語名ではオーボ(Åbo)です。その間、フィンランド語は農民たちが話す言語で、行政の言語はスウェーデン語でした。

こんな風に2つの言語(それか2つの方言)の一方が高い地位にありもう一方が低い地位にある状態をダイグロシア(diglossia)といいます。スウェーデン語はこのダイグロシアの上位に、フィンランド語は下位にいたということです。

スウェーデンがフィンランド南西部に進出し始めたのは8世紀ごろといわれています。スウェーデンはハメなどの内陸部まで進出したので、ノヴゴロド公国の間で争いになります。

1323年にはパハキナサーリ(Pähkinäsaari)、現在のシュリッセリブルク(Шлиссельбург、スウェーデン語:Nöteborg)という町でパハキナサーリ条約が結ばれ、フィンランドがスウェーデン領になることが決定されました。

スウェーデン時代のフィンランドでは、スウェーデン語が特権階級の言語。フィンランド語は基本的に歴史の表舞台には登場しません。

なのでフィンランド語の書き言葉が生まれたのは遅く、16世紀(1500年代)の半ばになってから。世界史の授業でもおなじみの、マルティン・ルター(Martin Luther)の宗教改革が起こったあたりです。

宗教改革に先駆けて、ドイツのヨハネス・グーテンベルク(Johannes Gutenberg)が印刷機をヨーロッパで初めて実用化したのですが(これも世界史でおなじみですね)、当時カトリックから分離したプロテスタントたちが聖書の教えを広く勧めるために印刷技術を利用していたのです。

フィンランドでもその動きは起こりました。そこで登場したのがトゥルク出身の司教ミカエル・アグリコラ(Mikael Agricola)。ルターが教鞭を執っていたドイツのヴィッテンベルクで勉強をした経験のある知識人です。

アグリコラはプロテスタント。フィンランド語しか理解できない農民にも聖書の教えを広めようとしましたが、当時のフィンランド語は文字がない言語でした。彼はまずフィンランド語のアルファベットを作ることにし、一つの文法書にまとめました。それがABC Kiria(『ABCの本』)です。

その4年後に新約聖書をフィンランド語で出版(Uusi Testamentti)。フィンランド語の正書法を創り出し、フィンランド語で聖書を出版した功績からアグリコラは「フィンランド語の父」とも呼ばれます。

100年後の1642年に聖書の全文がフィンランド語訳されて、そのまた100年後の1776年にフィンランドの地方でフィンランド語の新聞が刊行されました(長くは続かなかったんですが)。

またフィンランドの外では、フィンランド語の最初の辞書であるLexicon Latino-Scondicumが1637年にスウェーデンのウプサラで出版されました。ラテン語・スウェーデン語・ドイツ語・フィンランド語の4ヶ国語の用語集、という形ではありましたが。

スウェーデン時代にもこのように色々とフィンランド語推進の努力がされていたのですが、スウェーデン語はその間ずっと行政の言語、そして貴族たちの言語であり続けました。1632年に設立されたフィンランド初の大学オーボ王立アカデミー(現在は移転してヘルシンキ大学です)でも、授業はスウェーデン語やラテン語で行われていました。

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ロシア時代

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19世紀初頭からおよそ100年間は、フィンランドはロシア帝国領内の、フィンランド大公国という自治領でした。自治領と言うとピンと来ないかもしれませんが、当時のフィンランド大公国には独自の議会があり、独自の通貨が流通しており、ロシア語の浸透率の高くはなかったのです。

フィンランド人たちがナショナリズムに目覚め、そのナショナリスト運動の結果フィンランド語の地位が向上したのもこの時期です。

フィンランドがスウェーデンからロシアの手に渡り大公国になったとき、フィンランド語話者ははじめて多数派になりました(スウェーデン全体でみれば22%だったのに対し、フィンランド大公国領内では87%)。知識階級の中にも、フィンランド語を使う人が現れていました。しかし依然として、行政の言語はスウェーデン語でした。

そして18世紀初頭から、フィンランド語を国家語にしようという運動家たちが現れます。フェンノマン(Fennomaanit/Fennomans)と呼ばれる人たちです。そのフェンノマンたちの運動を最初に主導していたのがカール・W・スネルマン(Carl W. Snellman)でした。スネルマンはフィンランド語話者の農民たちも啓蒙すべく、フィンランド語で新聞の出版を試みた人です。

ロシアとしてはどうにかして隣の大国スウェーデンのフィンランドでの影響を弱めたかったので、皇帝はこの運動を歓迎しました。

フェンノマンたちの運動の結果、フィンランド語は徐々に広まっていきます。1841年には男子学校での必須科目となり、また小学校や中学生でも教えられるようになりました。

その後1848年に検閲があったり10年間のフィンランド語出版の禁止など苦難がありましたが、ついに1863年、フェンノマンたちの願いが叶います。アレクサンドル2世がフィンランド語の地位をスウェーデン語の地位と同等であるとの勅令を出しました。まあすぐそうなった訳ではなく20年の猶予期間の後だったのですが、フィンランド語が晴れて国の公用語となったのです。

1870年代になると、フィンランド語で教える学校が増え始め、以後スウェーデン語が優勢な地域にもフィンランド語学校が 建てられるまでになりました。

これだけフィンランド語の地位がどんどん良くなっていったので、もちろん反発もありました。スウェーデン語の地位を擁護するスヴェコマン(Svekomaanit/Svekomans)との争いも活発化します。しかし、フィンランド語の勢いは止まりませんでした。

その後ニコライ2世によるロシア化政策を乗り切り、フィンランド語はフィンランド議会の多数派言語になりました。

そして第一次大戦後のロシア革命でロマノフ王朝が倒れると、1917年12月6日フィンランドは独立、フィンランド共和国が成立しました。フィンランド語とスウェーデン語の両言語が公用語(国語)として採用されました。

独立後

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フィンランド語の地位は向上し、フィンランド語とスウェーデン語の二言語併用は憲法にも記されているくらいですが、まだスウェーデン語が特権を持ち続けている場所がありました。高等教育機関、ことヘルシンキ大学です。

ヘルシンキ大学では伝統的にスウェーデン語とラテン語が教育の言語だったものの、1920年代にはフィンランド語系の学生が大多数を占めていました。

この時期に登場した純正フィンランド性運動(Aitosuomalaisuus)という一連の運動で、フィンランド語がヘルシンキ大学の唯一の作業言語になりました。が、スウェーデン語話者の権利も擁護するために、教員はフィンランド語とスウェーデン語の両方で教授できることが義務とされました。

スウェーデン時代の文字を持たない農民の言語から、国の公用語にまでなったフィンランド語。1939年には、フィンランド人作家フランス・エーミル・シッランパー(Frans Eemil Sillanpää)がノーベル文学賞を受賞しました。現在のフィンランド語の地位は、フィンランド国内においてはゆるぎないものになっています。

現在のフィンランド人口におけるフィンランド語話者の割合は87.9%。対して、スウェーデン語話者は5.2%程度です(2017年)。

スウェーデン語話者はごく少数となってしまいましたが、独立以来のバイリンガル国家フィンランドでは、両方の言語に等しい権利が与えられています

フィンランド語が国語になるまでの道は決して平坦ではありませんでしたが、近代から現代までの歴史はサクセスストーリーともいえます。現在フィンランドはPISAテストで1位をとったり幸福とランキングで1位をとったりと、歴史上もっとも注目されているといっても過言ではないでしょう。この先はどうような道を歩んでいくのでしょうか。

あ、最後に1つだけ。フィンランド語で「歴史」はhistoria(ヒストリア)です。Kalafinaの歌が聞こえてきそうですね。

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参考文献

Gullberg, I. E. (1966). On dictionaries and dictionary-making. Scandinavian Studies, 38(1), 1.

Kirby, D, G. 2008. A Concise History of Finland. Cambridge: Cambridge University Press. 日本語版:デイヴィッド・カービー著; 百瀬宏,石野裕子 監訳; 東眞理子,小林洋子,西川美樹 訳(2008)『フィンランドの歴史』東京: 明石書店

Latomaa, S., & Nuolijärvi, P. (2002). The language situation in finland. Current Issues in Language Planning, 3(2), 95-202. doi:10.1080/14664200208668040

Tilastokeskus [Statistics Finland]. (2018). Väestö [population]. Helsinki: Tilastokeskus. Retrieved from https://www.stat.fi/tup/suoluk/suoluk_vaesto.html

石野裕子(2017)『 物語フィンランドの歴史 : 北欧先進国「バルト海の乙女」の800年』 東京: 中央公論新社

田欣吾(2008)『「言の葉」のフィンランド : 言語地域研究序論』 秦野: 東海大学出版会