僕の人生には山と海が不可欠。
国土のおよそ割を山に覆われた国日本。そこに生まれ、平地の多いフィンランドで生活していた僕にとって、やはり僕には山のある生活が必要だと感じさせる出来事がありました(フィンランドに住めないという訳ではないのですが)。
それが東欧・スロバキア旅行でした。今回は、そのスロバキア旅行中に訪れた、首都ブラチスラヴァのはずれにある古城デヴィーン城を紹介。古代ローマの面影残る、岩壁の上の渋いお城です。
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ブラチスラヴァの古城・デヴィーン城
デヴィーン城(Hrad Devín/Devín Castle)は、スロバキアの首都ブラチスラヴァのはずれにある城跡。ローマ帝国時代に築かれた城塞の一部です。
9世紀ごろにモラヴィア王国の一部のなったあとは所有者が変遷、そして城は1809年にナポレオン1世の率いるフランス軍により破壊されました。
デヴィーン城は、1961年にスロバキアの国の史跡に登録されています。
オーストリアとの国境は目の前で、すぐ近くを流れるドナウ川の向こう側はもうオーストリアです。
この国境には、つい二十数年前まで続いた冷戦時代にはいわゆる「鉄のカーテン」がおろされており(もちろん比喩ですが)、両国の国境を超えることは容易ではありませんでした。
現在では、シェンゲン協定によりオーストリアとスロバキア間は自由に行き来できます。現に、僕もウィーンから電車でスロバキア入りしました。
スロバキアの首都ブラチスラヴァは、日本人にはそれほど人気の観光地ではないかもしれません。ですがブラチスラヴァの旧市街の街並みはとても可愛くて綺麗です。
一昔前にはスロバキアと共に1つの国だったチェコの首都プラハよりも、こじんまりとした、のどかな首都です。
個人的には、街の雰囲気がエストニアのタリンに似ている気がしました(ただし海がないことは除く)。
ここには載せていませんが、珍しいブルーを基調とした可愛らしい教会や、マンホールから這い出している男性の銅像など素敵な見どころもありますので、現地を訪れた際は探してみてください。
旧市街をはずれれば旧ソ連時代の名残が至る所に見えます。
ここは僕の友人が留学していたコメンスキー大学の学生寮の1つですが、どうでしょう。旧ソ連時代の建物にありがちな薄暗いような雰囲気を感じませんか。
この付近には壊れかけた建物や使われていないラジオ塔もあってハラハラする一方、足許(建物の反対側です)には緑がいっぱいの公園があって、散歩するのにはちょうど良さそうでした。
ブラチスラヴァの古城へ
ブラチスラヴァからデヴィーン城へはバスで20分ほどなので、市街からのアクセスが容易な観光スポットです。
ブラチスラヴァ旧市街からのバスを降り、しばらく歩きます。小さな首都の小さな郊外の住宅地は、静かですが家々がおしゃれです。
デヴィーン城の足許まで来ました。このあたりには広い駐車スペースがあり、お土産屋さんやレストラン、ホテルなどがいくつか並んでいます。
でも建物自体がそんなに多くないので、あまり雑然としていません。スロバキアという国自体観光にはマイナーなのか(それか単にこの場所がマイナーなのか)、観光客もそんなに多くなかったですね。
見上げれば丘の上に毅然と立つ古きお城の姿が。ワクワクしてきます。
ゲートを通るとすぐチケット売り場があるので、入場券を購入します。
入場券を買った後は、この広くてのどかなお城の中をたっぷり楽しむことができます。天気が良くて気分も上がってきます。
ちなみに前の方でストレッチしているのは、僕らのパーソナル・ガイドであるブラチスラヴァに留学していた同じ大学の友人。
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自然と調和する古代ローマの城塞
高い城壁と物見の塔。ノイシュヴァンシュタイン城のような貴族的な華やかさは、正直1ミリもありません。
しかし大小様々な石を積んで造られた城は武骨で地味に見えても、素朴で味わい深い趣があると思いませんか。
ちなみにデヴィーン城は、冷戦時代には国境警備にも使われていたそうです。山の上という立地を活かしてのことでしょう。ある意味城塞としての役割を最近まで果たしていた、ということでしょうか。
オレンジ屋根が印象的な、お城の上からは、ときおり近隣の家々が見えます。
そして山! なんといっても山。平地の多いフィンランドに住んでいた僕は、ここで山があることがどれだけ気を休ませるかを、身に沁みて実感したのでした。
とても首都ブラチスラバの近くとは思えないほど、緑と山々に囲まれています。目下に見えるデヴィーンの街並みも、良い感じに調和していますね。
西側と東側の最前線
ドナウ川です。デヴィーン城はドナウ川を背にして立っているので、高い所へ登ればライン川と並ぶヨーロッパの大河を眺めることができます。
あと少し見えにくいのですが、お城の陰に小さめの川がドナウに合流しているのが分かりますでしょうか。
その川はモラヴァ川といって、ここよりずっと北側から流れている川で、スロバキア東側のオーストリア、そしてチェコとの国境の一部をなしています。
僕も最近知ったのですが、ドナウ川がスロバキア・オーストリア国境になっているのはこのデヴィーン城に近いほんの少しの場所だけなんですね……!
古代ローマの城塞と、緑に覆われた山々のコンビネーション。壮大な風景ながらどことなく和やかで、気持ちが落ち着きます。
お城なのになんと青空の広いこと広いこと。非常に開放感があって気持ち良いですね。前を歩いている2人は同行していた友人です。
天気が良くかなり遠くまで見えました。天気が良いとドナウの大河も映えますね。スロバキア・オーストリア国境をなすドナウの周辺は非常にオープンなもの。
つい二十数年前には、この国境を超えることさえ困難だったとは想像もつきません。
お城を出て少し川の方へ歩くと、銃弾の跡が数多く残る門のような建造物があります。冷戦時代に自由を求めオーストリアに渡ろうとしたものの凶弾に倒れた400人の人々のモニュメントです。
銃弾の跡が冷戦時代の恐怖と残酷さを生々しく物語っています。
モニュメントの足許にある慰霊碑。冷戦時代に自由や人権を求め闘い、多くの人々が命を失ったことが書かれています。
石碑に刻まれ寝入るのは以下の文章。コンマやピリオドが分かりにくかったのですがほぼ原文ママです。
The iron curtain used to stand here. It cannot be pulled away. It can only be cracked. Four hundred people sacrificed their life while fighting for their rights. Human being, free and unlimited, do not forget that freedom of thinking, acting and dreaming is a value that is not only worth living, but also bringing sacrifices.
(筆者拙訳:かつて鉄のカーテンがここに存在していた。それは引くことでなく破壊することによってのみ取り除かれる。400人の人々が権利を求めて闘い、その身を犠牲にした。自由でしがらみのない人間たちよ、思想と行動、そして夢を見る自由は生き甲斐であるが、同時にそれには犠牲を伴うものだということを忘れてはならない。)
そして周りには「恐怖の時代、鉄のカーテンの近くで400人を超える男女が射殺された(In communism more that 400 people were shot dead by the iron curtain during the terror)」と書かれています。原文ママです。
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まとめ:冷戦を間近に感じられるローマの古城
いかがでしたでしょうか。ブラチスラヴァからバスで20分で行けるデヴィーン城。ローマ帝国時代に建てられ、ナポレオンにより破壊され、東西冷戦の最前線を見守ってきた古城は、その千年以上にわたる激動の歴史を物語ってくれます。
お城そのものはあまり大きくないので、意外とサッと観光できてしまいます。
ブラチスラヴァに戻った後は、のんびりビールでもいかあがでしょう。写真は旧市街からバスで20分ほどのところにあるPatrónsky pivovarにて、クラフトビールとグヤーシュをいただいた時の写真です。
東欧の小さな内陸国・スロバキアはまだまだ日本人にはなじみの薄い場所だと思いますが、あまり知られていないたくさんの魅力があります。
緑に囲まれたローマ帝国時代の城跡でのんびりハイキング……なんて素晴らしいと思いませんか。
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