こんにちは。めいげつです。
西欧とロシアの間に位置する国ポーランド。中世には大国として名を馳せながら、近代からは征服と独立を繰り返した歴史のある国です。
その首都ワルシャワの新市街から歴史地区、そしてヴィスワ川を渡った対岸のプラーガ地区を歩いたようすを、写真でお送りします。
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ポーランドの首都・ワルシャワを街歩き
ワルシャワ(Warszawa)は東欧でも随一のサイズを誇るポーランドの首都。ポーランド国内の中央東寄りの位置にあります。
「ポーランドってそもそもどこや」って方は、↓の地図を縮小してみて下さい。
ポーランドの人口は4000万人より少ないくらいと、東欧の中でも随一の人口を誇ります。意外と大国なんですね。
ワルシャワは、南部の古都クラクフと並ぶ、ポーランドの二大観光地。どれだけ忙しい人でも、おそらくこの2都市は必ず訪れるかと思います。
僕も実際にこの2都市を訪れました。ワルシャワもクラクフも、どちらもすごく綺麗で良いところでした。
「どちらか片方しか行けない場合どっちがいいか」と聞かれればクラクフと答えるものの、できればワルシャワも外さないでほしいですね。
ワルシャワの魅力はなんといっても旧市街の美しい街並みですが、その旧市街は今から70年ほど前、第二次世界大戦のときにドイツ軍の爆撃により完全に破壊されました。
そこから銃痕の1つに至るまで戦前までの姿を完璧に再現しながら再建したのです。ポーランド人の絶え間ない努力によって「復活を遂げた」旧市街は、ユネスコの世界遺産に登録されています。
ワルシャワ新市街から旧市街へ
バルト三国~ポーランド旅行をしていた僕たち(連れが2人いました)は、最後の目的地(目的国)であるポーランドに到着しました。
僕らはPolskibus(現在はFlixbusに買収)の夜行バスでポーランド入り。バスはワルシャワ旧市街から見て南の方にある大通りに到着しました。
バス停は、ワルシャワの文化科学宮殿という建物にほど近い場所でした。
その後は、旧市街の近くにあるホステルにチェックインするため、重い荷物を持って歩いていきました。
モダンな新市街とピウスツキ広場
高層ビルや集団住宅が並ぶ姿ってどこの都市も同じように見えるけど、いざ実際に行ってみるとなんとなく都市によって雰囲気違いますよね。当たり前か。
諸聖人教会という教会。この辺りのエリアはモダンな建物や高層ビルが並んでいますが、こういう雰囲気の建物もあるんですよね。
文化科学宮殿から旧市街のほうへ向かうと、途中にあるのがこのサスキ公園。
サスキ公園の隣には、ピウスツキ広場という広い空間があります。ピウスツキとは、第一次大戦後に独立したポーランド共和国の初代国家元首であるユゼフ・ピウスツキのこと。
この近くには、第一次大戦で命を落とした名もなき兵士たちに捧げられた無名兵士の墓というモニュメント(写真は忘れました)があります。
おそらくこの十字架も彼らにささげられたものでしょう。
噂をすれば何とやら。ユゼフ・ピウスツキ元帥の銅像がありました。
クラクフ郊外通りを経てワルシャワ旧市街へ
ワルシャワ旧市街の南側の外縁部分に着きました。ホステルはこの辺りにあったのでチェックインし、行動開始。
ちなみにこの通りはクラクフ郊外通り(Krakowskie przedmieście)と呼ばれ、ワルシャワ旧市街へと続いていきます。
聖十字教会。
なんだかこの辺りのエリアは、ペールオレンジというか、くすんだ薄黄色の建物が多いような気がします。
大統領宮殿。
大統領の宮殿の向かいにある、文化・国家遺産省が入るこの建物の前では小規模なデモのようなものが行われていました。
そのころ政治に無関心だった僕は乗り気じゃなかったものの、連れ2人がノリノリで話を聞いており、僕は終始 (´^`;) という感じ。
何も、権威主義的な政府かなんかに抗議しているらしかったです。よく覚えていないけど。
大統領の宮殿なり国家遺産省なりがある通りをまっすぐ進むと、王宮広場に出ました。おそらくワルシャワで一番有名な場所ですね。
ここからさっそく旧市街散策! といきたいところですが、ちょっと道を戻ります。
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ワルシャワ大学の建物を散策する
2人いた連れのうち1人にワルシャワ大学で学ぶポーランド人の友人がいたので、彼女に大学のキャンパス内を連れ回してもらいました。
この建物はカジミェシュ宮殿というそうです。新古典様式で建てられているぶん、ヘルシンキ大学の本館の建物にすごく似ています。
あ、ヘルシンキ大学については別記事で書いてますのでよろしければどうぞ。
このカジェシュ宮殿の近くには、ショパンが1817-1827年のあいだ暮らしていたという家もありました。
この不思議な雰囲気の建物はワルシャワ大学の図書館ですって。まじですか。
こんな前衛的な建物が大学のキャンパスに取り入れられるとは、なんとなくワルシャワ大学の懐の深さが分かるような……笑
ヴィスワ川沿いを歩いていると、こんなモダンな建物が。コペルニクス科学センターというそうです。
旧市街に戻って来ました。
本当は旧市街に戻る前にヴィスワ川対岸プラーガ地区に行ったのですが、そのことは便宜上後で書くことにします。
王宮広場すぐ近くの聖アンナ教会に入りました。ここには塔があって入場料を払えば登って景色を楽しむことができます。
この美しい広場を、近くの教会の塔から見下ろせるわけです。
しかしこうして見ていると、第二次大戦で町が破壊され、その後の70年で復興したなんてとても思えません。
思えば、ポーランドは歴史的に、征服とか破壊を何度も経験している国。
中世の時代にはリトアニアと同君連合になってヨーロッパでも強い国になったかと思えば、18世紀には列強の思惑でポーランドという国そのものが消えてしまったこともあります。
そして第一次大戦後に再度ポーランド共和国として独立(前述のピウスツキが大統領に)。その後もワルシャワの破壊やソ連への編入など苦難が続きます。
そういえば第二次大戦で破壊され復興した町といえばドイツのニュルンベルクを思い浮かべますが、こちらは世界遺産になっていませんね。
それでは塔を降りて、王宮広場へ。
王宮広場の真ん中に柱が堂々と立っています。
その上にいるのは、ポーランド・リトアニア王国の王様とスウェーデン王を兼ねたジギスムント三世ヴァーサ。
同国の首都を、クラクフからワルシャワへ遷したのだそうです。
だんだん暗くなっていきます。しかし王宮広場の辺りは街並みが美しいですね。ここから、写真左の建物が密集するエリアに向かいますよ。
中世のマーケット広場。カラフルでとても美しい建物が並びますね。夜が近づくにつれて薄暗くなり、明かりがつき始めてくる時間帯。
ヨーロッパの旧市街では、僕はこの時間帯の雰囲気が一番好きです。
新市街地区へ
マーケット広場から東方面に行くと、ノヴェ・ミャスト=新市街地区になります。
ワルシャワのバルバカン。バルバカンとは中世の都市を囲んでいた城壁に造られた半円形の防衛設備のこと。
中世からの歴史があるとはいえ現存しない城壁を想わせてくれる建物です。
ヤン・キリンスキという人の銅像だそうです。
18世紀末にロシアに対して蜂起したコシチューシコ(コシューシコ)と共に立ち上がった司令官の一人だとか。
そういえばコシチューシコの銅像は見かけなかったな。
ワルシャワ蜂起のモニュメント。第二次大戦のときポーランドを占領したナチスドイツに対して、ワルシャワの住民が蜂起したのを記念するモニュメントです。
僕は時間がなくていけませんでしたが、この近くにはワルシャワ蜂起について解説した博物館があります。
ワルシャワ蜂起のモニュメントから道路を挟んでの向かい側には教会があります。ポーランド軍の教会だそうで。
暗くなたのでホステルに戻っるため旧市街地区を歩いていると、何やら見覚えのある銅像が……
……と思ったら、あのコペルニクス大先生の銅像ではないですか。世界史の教科書に載っていたあの銅像ですよ。
ワルシャワの地下鉄には改札がついている
ちょっとしたこぼれ話を。
メトロ=地下鉄は、海外の都市を観光している時によく使いますよね。特定の場所から他の特定の場所に行きたい時に便利な交通機関です。
さて、ワルシャワももちろん地下鉄を使ったわけですが、ワルシャワの地下鉄の駅にはなんと、
改札がついてました!
何を当たり前のことを、と思うかもしれませんが、これ、ヨーロッパではけっこう珍しいですよ。
僕は北欧東欧を中心に20ヶ国行ったんですが、改札の付いたメトロの駅を見たのは、ここワルシャワとストックホルムだけです。
プラーガ地区へ
ここからは、ワルシャワの中でも旧市街とは違った表情を見せる、ヴィスワ川対岸のプラーガ地区のようすをお送りします。
どうやらこのプラーガ地区でも第二次大戦時に戦闘があって、その時の銃弾の後のようです。ポーランド語は全く分からなかったためグーグル翻訳に投げ込みました。
ポーランドの歴史を語るうえで、戦争は避けては通れませんよね。
プラーガ地区のマグダラのマリア教会。正教会の教会です。
ここには地下に礼拝堂のようなスペースがあって、
地下というだけあって天井は低いものの、装飾がなかなかお見事。
さてこのプラーガ地区、ワルシャワの旧市街だけを見ていては決してお目に罹れないような、ワルシャワのもう一つの顔を見せてくれます。
この全然メンテナンスされていない感じ。よく言えばヒップスターな雰囲気があると言えるんでしょうが。
なぜここに来たかというと僕らのパーソナル・ガイドだったポーランド人の友人が連れてきてくれたからなんですが、なぜここに連れてきたのかはよく分からないです。
プラーガのバザール。冬の時期だったとはいえ、この様子では夏でも寒々しい感じがしそうです。
バザールの入り口。おそらくバザールの名前が表示してあったんでしょうが、文字がいくつか落ちていてなかなか世紀末な感じ。ゾンビが出てきても不思議じゃないかも。
壁にポーランド語で何か書いてありました。後でグーグル翻訳にかけてみたら「あなたのためにあなたを愛します」って出てきたんですが、よく分かりません。ラブ&ピースってことかな。
Kaneserというウォッカ工場。
ウォッカといえばロシアのイメージがありますが、ポーランドも結構なウォッカ大国です。
手頃なウォッカとして世界中で売られている「ジュブルフカ(Żubrówka)」というウォッカもポーランド製。日本では「ズブロッカの名前で通っていますが、あれ誤読ですよ。どうしてそうなった。
世界一アルコール度数の高い「スピリタス」もポーランドせいですね。
こちらは僕がワルシャワで買ったウォッカ。Soplicaはソプリツァと読みます。ヘーゼルナッツフレーバーがすごく美味しくてがぶがぶ飲めてしまいました(危ない)。
ちなみにポーランドは、世界でロシアに次ぐ第4位のウォッカ輸出国だそうで。
……ロシアが3位?
ちなみに同サイトによると1位はスウェーデンで、2位はフランス(とか)だそうですよ。スウェーデンはアブソルートが有名ですし、フランスはグレイグースが作られていますし。
……話が逸れました。閑話休題。
ここまでプラーガ地区のちょっとアレな建物ばかり紹介してきましたが、それだけではありません。
このような、「普通の」建物が並ぶ通りもありますよ。
しかし、あのエリアは一体何だったんだろう。
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ワルシャワ出発
さて、2日ほどのワルシャワ観光を済ませた私は、ポーランド南部の都市クラクフへ日帰りをするというクレイジーな旅へ出かけました。そのようすは、後日また記事にします。
クラクフ日帰り度の後はワルシャワへ舞い戻り、飛行機でポーランドを後にしました。
ちなみにワルシャワの空港は、正式名称をワルシャワ・ショパン空港といいます。
Lotnisko Chopina w Warszawieという表示がありますね。「ワルシャワ(Warszawa)」はもちろん、フランス系のChopinもきっちり格変化しているのが、さすがスラヴ語です。
僕、こうやって空港に偉人の名前をつけるのってすごく格好いいと思うんですが、日本で成田や羽田空港につけるとしたら誰がいいだろう?
日本にはたくさんの偉人いるけど、その分、これという人を一人だけピックアップするのは難しい気がします。
ワルシャワの現地ツアーやアクティビティ
その他、便利なサイトやサービス
それでは、最後にワルシャワ観光に便利なサイトを置いておきますね。
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