こんにちは。めいげつです。
ドイツの南西・バイエルン州にある都市ニュルンベルク(Nürnberg)。
かつての帝国自由都市で、デューラーが活躍し、金印勅書が発表され、ナチスが党大会を行いそして裁かれた町……いくつもの側面を持つニュルンベルクをこの度歩いてきました。
<記事は広告の後にも続きます>
1日目:ニュルンベルクを街歩き
ニュルンベルクと聞いて僕が最初に思いつくのは、第二次大戦終戦後にナチスの幹部たちが連合国によって裁かれたニュルンベルク裁判でした。人に酔ってはニュルンベルクリンクの方が有名かも知れませんね。
そして、ニュルンベルクの旧市街はその大戦中に空爆で破壊しつくされ、戦後に建て直されたということ。僕が訪れたことのあるプラハやタリン、ヴィリニュス、バンベルクのような空爆を免れた街とは違い、再建されたという点で「本物の」中世の街ではない(少し失礼な言い方かもしれないけど)わけです。
その辺、こういった「本物の」中世の町と同雰囲気が違うか、などに興味がありました。
あとは出発前に事前学習として、「Indie Travel Podcast」というラジオでニュルンベルクに関する話を耳にタコができるほど聞いていたので、そこで言及されていた観光地を巡ってみたかったのです。
ニュルンベルク駅からホステルまで
バイエルンチケットを使い、バイロイトから電車でニュルンベルク駅に到着。
中央駅前は少し雰囲気が悪く、若干治安が良くなさそうな印象がありました(タバコ吸ってたむろしている人がいたり)。しかめっ面をして素通りをしたら特に問題ありませんでしたが。
荷物が重いので、まずはホステルに向かいました。
こちらが今回3泊したCity Hostel Nuremberg(agodaのページに飛びます)。個室ではなくドミトリー、つまり相部屋です。目抜き通りのケーニヒ通りにここへの案内板があったのですぐに見つかりました。チェックインをして荷物を置いたら、さあ街歩きです。
ケーニヒ通り~ハウプトマルクト、聖母教会
ニュルンベルクに着いたのが夕方ごろだったので、博物館めぐりには遅いと思い、この日はとりあえず町を一通り歩いてみることに。この辺は建物の並び方が整然としていて、石畳も一つ一つが大きくて、中世というよりは少しモダンな印象でした。
ケーニヒ通り(Königstraße)はニュルンベルク旧市街の目抜き通りになっていて、たくさんの人たちが行き交い、軽食を売るスタンドやスーパー、レストラン、インビス、商店などが多くありました。
ケーニヒ通りを歩いているとすぐ見えてくるのが聖ローレンツ教会(Lorenzkirche)。15世紀に建てられたゴシック様式の教会です。こちらの教会も第二次大戦中の空爆で激しい損害を被りました。
ケーニヒ通りを道なりにまっすぐ進むとムゼウム橋(Museumsbrücke)に出ます。そしてこの橋が架かっているのがペグニッツ川(Pegnitz)。
ペグニッツ川はバイロイトの南方からLの鏡文字を描くように流れている川で、バンベルクを流れるレグニッツ川(一文字違い)に合流します。
ムゼウム橋から、旧救済院(Heilig Geist Spital)が見えました。神聖ローマ帝国直下の自由都市自体では病院で、皇帝のレガリア(日本でいう三種の神器のようなものかな)を保存していた場所なのだそう。
今ではレストランになっています。
マルクト広場またはハウプト・マルクト(Hauptmarkt)。この辺りまで来ると、建物の並び方なんかが中世っぽさを帯びてきます(こういう広場が中心にあるのもそう)。
写真に映っているのは聖母教会(フラウエン教会、Frauenkirche)です。
マルクと広場にあるごてごてに飾られた噴水、シェーナー・ブルネン(Schöner Brunnen)。直訳すると美しい泉。ちょっときらびやか過ぎてクドい。
この周りの柵に金の輪っかがあるのですが、それを回すと幸運が訪れるとか何とか。
聖母教会の中に入りました。よくあるバロック様式のカトリック教会に比べるとなんだか暗くて重厚、そして少し質素な雰囲気です。
この教会も空爆でダメージを受けました(全壊はしていないようです)が、ご覧の通り再建されています。正直、「実は戦後再建されました」と言われないと分かりません。
ホステルで会ったニュルンベルク生まれのおじいさんによれば、場所に寄ってレンガの色が違うとのこと。気になる人はぜひ比べてみて下さい(僕は比べ忘れたので)。
その後はもう少し北に行き、お城の麓の道を西に行き、そのまま南下するコースで街歩きをしました。
デューラーハウス、木組みの家々、ヘンカーシュテーク
ニュルンベルクで活躍した人で有名な一人が、アルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer)。『四人の使徒』や自画像で有名な画家で、北方ルネサンスの中心的な人物ですね。
デューラーの暮らした家で唯一現存するのがこのアルブレヒト・デューラーハウス(爆撃の損害はあったものの軽度だったようです)。次の日に訪れたいので、場所をしっかり把握しました。
ドイツらしい木組みの家々が並ぶ光景が見られるのが、ヴァイスゲルバーガッセ(Weißgerbergasse)という通り。
このヴァイスゲルバーガッセの西側から南に行くと、ケッテンシュテーク(Kettensteg)という鉄製の鎖橋があります。この橋で川を渡って今度は東に行くと、ヘンカーシュテーク(Henkersteg)という木製の橋が。
どことなく中世の趣を感じられますね(たぶん戦後に作り直されてるけど)。
この後はスーパーで食料を買い、ホステルに引きこもりました。
ニュルンベルクの旧市街にあるスーパーは、ハウプトマルクトにあるNORMA、ケーニヒ通りの城壁近くにあるALDI SÜD、ヘンカーシュテークから4分ほどの場所にあるREWEの3軒。ホステルから一番近い ALDI SÜD にはよく行きました。
2日目:フェンボハウス市立博物館で町の歴史を学ぶ
2日目はいよいよ博物館めぐりです。開館に合わせてホステルを出ました。
まずはハウプトマルクトの北側にあるツーリストインフォメーションで、ニュルンベルクカード(NÜRNBERG CARD + FÜRTH)を購入。博物館やお城などへ無料で入場でき、交通機関も使い放題。他2日間有効(24時間ではありません)で28ユーロ。かなりお買い得です。
そして向かったのは町の歴史を知ることができるという、フェンボハウス市立博物館(Stadtmuseum im Fembo-Haus)へ。
受付でニュルンベルクカードを渡して入館。追加料金なしでオーディオガイドも貰えました。
フェンボハウス市立博物館の入っている建物はもともとネーデルラント生まれの商人が建てた家で、第二次大戦の爆撃をほぼ無傷で生き残った数少ない建造物です。名前は19世紀始めにこの家を買い取った出版者、ゲオルク・クリストフ・フランツ・フェンボ(Georg Christoph Franz Fembo)にちなんでいます。
ここでは、ニュルンベルクの街の歴史をかなり細かく解説してくれます。帝国の自由独立都市だった神聖ローマ帝国の時代から、ウェストファリア条約、第二次大戦中と戦後まで。この家そのものの歴史、ここに住んだ人たちの話も。
町の模型、地図の間、そして第二次大戦
4階に上がるとニュルンベルク旧市街の模型があって、しばらくするとカーテンが閉まり軽いショーが始まります。主な建物にスポットライトが当たって、その建物の説明をしてくれます。
その後は貿易だったり、職人たちの作った道具のレプリカが飾られていたりと、中世の時代にニュルンベルクがいかに重要な都市だったかが学べます。
ヨーロッパじゅうから人やモノが集まったニュルンベルクでは、色々なものが発明されました。
でも個人的に興味深かったのが地図の間(僕が勝手に名付けました)。何階だったか忘れたけど。
17~18世紀、地理学者のヨハン・ホーマン(Johann Homann)がこの家に住んでいた時代は、地図製作が行われていたようです。ここではその時代に造られた地図のレプリカが見られます。
北アメリカの地図が未完成だったり(アラスカがほとんど抜け落ちてる)、日本が変な形だったりと、地図が造られた時代を感じさせてくれます。
そして、ニュルンベルクの歴史を語るうえで欠かせないのがこれ。
ニュルンベルクは神聖ローマ帝国時代には帝国自由都市だったり、金印勅書が書かれた町でしたが、同時に第二次世界大戦前後の動乱に大きく影響を受けた街でもあります。
ちょっと前まで歩いていた旧市街にスワスティカ(左鉤十字、ハーケンクロイツ)の旗が溢れている様子は、かなり異様で、衝撃でもあります。
そして……空爆により無残な瓦礫の山となった町の写真が続きます。そこから今の姿にまで復興したのですから、驚嘆を禁じえません。
フェンボハウス市立博物館では、ニュルンベルクの歴史をちょっと多すぎるくらい学べました。フェンボハウスはネット上の観光ガイドでほとんど見かけなかったので、かなり不思議です。みんな歴史に興味ないのかな?
フェンボハウスについて知ったのは、記事の最初のほうで書いたIndie Travel Podcastのポッドキャストがきっかけでした。このポッドキャストで「ニュルンベルク観光をスタートするのにぴったり」と言われていたのですが、その通りいいスタートになったかなと思います。
この続きは、ニュルンベルク旅行記後編にて。ニュルンベルクのシンボル・カイザーブルク城と、ナチスの文書センターに行きますよ。
コメントを残す