こんにちは。めいげつです。

ドイツの南西・バイエルン州にある都市ニュルンベルク(Nürnberg)。

かつての帝国自由都市で、デューラーが活躍し、金印勅書が発表され、ナチスが党大会を行いそして裁かれた町……いくつもの側面を持つニュルンベルクをこの度歩いてきました。

今回はその後編です。

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2日目続き:ニュルンベルクのお城へ

カイザーブルク城へ。でもその前に……

ニュルンベルク旅行記前編でもお伝えした通り、僕のニュルンベルク旅行2日目は、最初にフェンボハウス市立博物館(Stadtmuseum im Fembo-Haus)で始まりました。

ここでニュルンベルクという町の濃密すぎるくらい濃い歴史をしっかりと学んだ後(なお半分以上忘れた模様)、街のシンボル、丘の上に立つお城・カイザーブルク城へ向かいました。

……でもその前に。お腹が空いたので、まずは腹ごしらえです。

ブラートヴルストホイスレの外観

Allaboutの記事でさらっと読んだお店、ブラートヴルストホイスレ(Bratwursthäusle)を実は初日の街歩きの時に見かけていたのです。ここはニュルンベルガーと呼ばれるソーセージを出しているお店。

日本語の記事でも紹介されているからか、店に入っていく日本人観光客の姿もありました。

この日もお店に来てみたら、「テイクアウト3ユーロ」と看板に書かれているのを発見! ニュルンベルクでは節約して外食はしないつもりだったものの、これで安くローカル料理が食えました。

ニュルンベルガーのテイクアウト

焼きソーセージ美味しかった……! 強いて欠点を言うなら緑が少ないことでしょうか。

ニュルンベルガーのサンドを歩き食いしつつ、お城へ向かいました。

ニュルンベルクのシンボル・カイザーブルク城

ニュルンベルクのカイザーブルク城の外観

こちらがカイザーブルク城(Kaiserburg)の外観。直訳すると「皇帝の城」でしょうか。burgが「城」なので単にカイザーブルクと呼ぶ方が適当なのでしょう。かつて帝国自由都市だったニュルンベルクを象徴する建造物です。

ここには神聖ローマ皇帝も何度も足を運んだのでしょうな(たぶん作り直されてるけど)

ニュルンベルクの起源はよく分かっていないそうで、おそらくお城の建設がいつ始まったのかも分かってないのでしょう。ただ1050年にこのお城についての最古の記録があるそうです。

カイザーブルク城からのニュルンベルクの眺め

お城のテラスからは、ニュルンベルクの町が一望できます。町は中世の景色そのもの。戦後になって再建されたなんてとても信じられません。

受付でニュルンベルクカードを見せてそのまま入場します。

お城の展示スペース内には礼拝堂があるほか、神聖ローマ帝国とお城の歴史を学べる展示がずらり。世界史でおなじみの金印勅書や七大選帝侯がでてきました。金印勅書が書かれたのもここニュルンベルクだそうですね。

デューラー・ハウスの向かいの家から火がでている

窓をふと覗いてニュルンベルク市街を見渡してみました。すると一部なんだか煙が多い場所があり、料理でもしてるのかなと思いきや、家の一部が崩れていて消防車が集結していました。火事でした(翌日のニュースでも確認)。

ちょうどこの後に行こうと思っていたアルブレヒト・デューラーハウスの目の前の建物で、です。なんというタイミングだ……!

お城を回った後は予定通りデューラーハウスの方へ。近くに行ってみたものの、どうも入れそうになかったのでホステルに戻ることに。スーパーで買ったライ麦パンとハムとスムージーを食べてディナーとし、そのまま寝ました。

3日目:デューラー、ヒトラー、べハイム

ニュルンベルク滞在3日目は、3つの博物館を回るディープな一日でした。デューラーハウスの周りにはまだ規制線や柵が巡らされていましたが、入ることはできました。

アルブレヒト・デューラーが暮らした家

アルブレヒト・デューラーハウスの外観

こちらがアルブレヒト・デューラーハウス(Albrecht Dürer-Haus)。ここでは世界史でおなじみ北方ルネサンスの画家アルブレヒト・デューラーに関する展示が見られます。

建物は、デューラーが実際に暮らした家(の中で現存するもの)で、彼は1509年から1528年に亡くなるまでこの家に住んでいたそう。第二次大戦中の空爆の被害は受けたものの、屋根や窓、外壁の一部が破壊された程度で、前回は免れたようです。

中2階にある展示室では、かの『四人の使徒』や3枚の自画像、『アダムとイヴ』などのレプリカが展示されていました。本物はゲルマン国立博物館や、ヨーロッパ中の美術館に所蔵されています。

デューラーハウスのとある部屋

3階の大部屋には、デューラーが版画に使ったであろう道具が色々と展示されていましたが、この部屋の本来の目的は分かってないんだそう。それどころか、厨房以外の部屋のほとんどは用途不明だそうです。

デューラー夫妻には子どもがおらず、遺品もほとんど残っていなくて、そして彼の死後はこの家が不特定多数の人の手に渡ったから。

2階には豪華田調度品のある部屋があるものの、これは1880年代にフリードリヒ・ヴァンデラー(Friedrich Wilhelm Wanderer)がデューラーの暮らした当時の様式を元にデザインしたものです。

ナチスの党大会会場へ

Doku-Zentrumへ向かうトラムから撮った写真

次はトラムに乗って、ヒトラーが築いたナチスの党大会会場へ向かいます。

ナチス帝国党大会会場文書センターの外観

これがナチス帝国党大会会場文書センター(Dokumentationszentrum Reichsparteitagsgelände)、そして党大会が行われたコングレスハレ(Kongresshalle)の外観。

ニュルンベルクは神聖ローマ帝国下の帝国自由都市、貿易や北方ルネサンスの中心でありながら、ナチスの町としての歴史もあります。そして彼らが裁かれた町でもあるという、非常に複雑な歴史を持つなのです。一国の首都以外でこれだけ多面的な都市というのも少ないのでは。

ここナチス帝国党大会会場文書センターでは、ヒトラーの生い立ちから始まり、彼と国家社会主義ドイツ労働者党が第一党に上り詰め、そして敗戦、ナチ党の幹部が裁かれるまでの道筋を知ることができます。オーディオガイドもあります。ニュルンベルクカードがあれば入場無料です。

展示の内容がかなり細かくてですね、もうすでに疲れ気味だった私の脳がオーバーヒートしかけたため、途中から飛ばし飛ばしになりました。

展示されているニュルンベルク党大会のチラシ

ニュルンベルクは「全ドイツ都市の中で最もドイツ的な都市」としてナチスに好まれ、何度か党大会が行われました。

ナチスの党大会会場コングレスハレ
コロッセオを模した、未完成の党大会会場コングレスハレ

ニュルンベルクにはナチ関連の施設として、他にもナチ党幹部が裁かれた実際の裁判所(Courtroom 600)があります。今でも現役の裁判所です。ただし今回は時間と体力の関係で断念し、そのままゲルマン国立博物館へ。

ゲルマン国立博物館

ゲルマン国立博物館の外観

こちらがゲルマン国立博物館(Germanisches Nationalmuseum)。入り口ではなく道路に面した側です。

「人権の道」の入り口。
「人権の道」の入り口

入り口のある人権の道(Straße der Menschenrechte)には、コンクリート製の柱が27本立っていて、それぞれに世界人権宣言の各条文がドイツ語と世界中の言語で一条ずつ刻まれています。日本語もありましたよ。

受付でニュルンベルクカードを見せ、荷物ロッカーに放り込みいざ観光。有史以前はあまり関心ないので速足で巡り、中世以降の展示へ行きました。

ゲルマン国立博物館にある修道院

実は、博物館の中に修道院が丸々おさまっていて、展示室になっています。

現存する最古の地球儀、ベハイムの地球儀
現存する最古の地球儀(手前)と、二番目に古い地球儀(左奥)

さて、こちらが僕にとっての、ゲルマン国立博物館観光のハイライト。ベハイムの地球儀です! これが現存する最古の地球儀。

この地球儀は、ドイツの地理学者マルティン・ベハイム(Martin Behaim)が1492年に作り上げたもの。なんとコロンブスがアメリカに到達したのと同じ年です。そのため、アメリカがすっぽり抜けてるし、日本も大陸から離れた変な形の島として描かれている。まだ大航海時代が始まる前だったんですね。

ゲルマン国立博物館には現存する二番目に古い地球儀(写真左奥)も展示されていて、それはバンベルクの聖職者ヨハンネス・シェーナー(Johannes Schöner)が1520年に造ったもの。こちらはアメリカ到達以降に造られたので、ちゃんとアメリカ大陸が描かれています。

どちらの地球儀も、日本が面白い形になっている&面白い場所にあるのですが、まあ行ってみたらぜひ探してみて下さい。

デューラーの二枚の絵

デューラーの絵もあります。ほかには、ルーカス・クラナハの『ウェヌスとクピド』やレンブラント・ファン・レインの自画像もありました。

目的のものが見られて大満足です。

夕方の職人広場(Handwerkerhof)

その後は食料調達ついでに職人広場(Handwerkerhof)へ。お土産も探したものの、特に何も買いませんでした。

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4日目:チェコに向けて出発

翌日はニュルンベルク中央駅近くのWilly-Brandt-Platzという場所へ向かい、チェコ共和国へ向けてFlixbusに乗り込みました。

チェコと言えばプラハが代表的ですが、今回の目的氏は西部にある都市プルゼニ(Plzeň)。ドイツ語名のピルゼン(Pilsen)としても有名で、あのピルスナービール生まれ故郷です。

当方プラハは今回で3回目になるので、数時間だけ立ち寄ったのち、プルゼニに向かいます。