こんにちは。めいげつです。
バルト海とロシアに挟まれた地域・バルト三国。バルト三国最大の都市リガは、中世の時代から栄えてきた港湾都市です。
現在は旧市街が世界遺産に登録されているリガのようすを、写真でお送りします。
【重要】新型コロナウィルスの流行に伴い、各地で入国制限および入国後の隔離等の対策がとられています。詳細は各国大使館等のページを確認していただくとともに、各国の感染症危険状況については、外務省の海外安全ホームページ等をご確認ください。
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バルト三国最大の旧市街を散策
リガ(Rīga)は、バルト三国が一・ラトビア共和国の首都。
バルト三国は、北からエストニア、ラトビア、リトアニアの3つの小国からなります。バルト三国の名前と位置関係はけっこう混同する人が多いですね(自慢じゃないけど、三ヶ国全部訪れたのもあって僕は絶対に混同しません)。
バルト三国は大陸ヨーロッパの北東にあって、三ヶ国すべてロシアに接しています。
リガおよびラトビアの位置を地図で見ると↓のような感じ。
バルト三国の中で人口と面積共に一番大きいのはリトアニアですが、人口が一番大きい都市は実はラトビアのリガなんです(リトアニアの首都ヴィリニュスではなく)。
僕のリガ街歩きは、リガ歴史地区より北東の、(おそらく)比較的新しいエリアからスタート。
なぜここからスタートかというと、僕がリガ旅行で滞在した安宿がこの地区にあったからです。
聖ゲルトルード教会。こちらはプロテスタントの教会だそうで。
リガの生誕大聖堂。旧市街の中心からは少し離れたところにある、正教の教会です。
僕らは宿が旧市街から遠かったので、旧市街への道中で偶然見かけましたが、けっこう見落としそうな穴場です。
金色のクーポラが印象的で、かなりの大きさです。中は水色を基調とした美しい壁画が描かれています。
近くにある同じく正教会のアレクサンドル・ネフスキー教会にも訪れたものの、写真は撮り忘れました。こちらは生誕大聖堂に比べて小さくてこじんまりしていました。
リガ歴史地区を半円状に取り囲む大通りにやってくると、自由の記念碑がその堂々とした姿を見せてくれます。
この大通りを渡れば、リガ旧市街に入ったことになります。
アールヌーヴォー建築の町リガ
実は僕後から知ったのですが、リガはアールヌーヴォー様式の建築物がそこかしこにに見られる町。その数はヨーロッパでも有数なのだそう。
こんなふうになんとなく撮った一枚にも、ごりごりにアールヌーヴォーな建物が映っていました。ちなみにこの建物はフランス大使館です。
また、リガにはアールヌーヴォー地区ともいえるような、アールヌーヴォー建築がたくさん並んだ地区があるようです。行けばよかったなあと思います。
リガ歴史地区へ
この自由の記念碑は、ラトビアの独立を勝ち取るために命を落とした人々を追悼するために、1935年に建てられました。
ラトビアが最初に1つの国として独立を果たしたのは第一次大戦後になってから。それ以前はスウェーデンやポーランド・リトアニア連合王国、ロシア帝国などに支配されてきました。
第一次大戦後に勝ち取った独立も、第二次大戦の時にソ連に併合されることで失うことになりました(いちおう、ソ連を構成する社会主義共和国として存在していましたが)。
14世紀に完成したという火薬塔。ラトビア軍事博物館が隣接しています(火薬塔の奥の建物です)。
あちこちの街角で、カラフルな建物が姿を現してくれます。
この辺の建物は少し新しく見えますね。
ゴシック様式の教会らしい、先細りのアーチ形の窓が見えてきました。
聖ペテロ教会。リガ歴史地区のほぼ中心にあるプロテスタントの教会です。ここの塔に登れば、旧市街を上から眺めることができます。
僕はラトビア科学アカデミーの方に登ったのでここには行かなかったものの、科学アカデミーは旧市街から遠いので、旧市街の眺めを楽しむならここでいいんじゃんないかと思います。
写真左に移っているのはラトビア占領博物館。入場料を取らず、寄付したい人がお金を収めるシステムになっています。
先ほども書きましたがラトビアがやっと独立を果たしたのは第一次大戦後になってからのこと。ラトビアの歴史はそのほとんどが(被)征服の歴史です。
リガのシンボルマークたるブラックヘッド会館。カッコいいですね。再建されたものだそうですが、中世の独身商人や船舶所有者たちのギルドハウスだそうです。
おそらくリガで一番有名な建物。ネットで「リガ」と検索すると、たいていこの建物の写真が出てきます。
オリジナルの建物は14世紀初頭に建てられたそうですが、第二次大戦のときにドイツ軍の爆撃で破壊されてしまったそうです。その後1990年代に再建されました。
なんだか、戦争の話ばかりですね。
リガ歴史地区の街角は本当に雰囲気抜群で、くねくね曲がった迷路のような街路に、大小様々な、カラフルな建物が並んでいます。
大聖堂広場(Doma laukums)へやってきました。リガ歴史地区の中心的な場所です。
リガ大聖堂(Rīgas Doms)。レンガで造られたゴシック様式の教会。もとはカトリックだったものが、のちにプロテスタントの教会になりました。
リガ城。現在は大統領官邸として使われているそうです。なんだかお城というか、宮殿のような感じ。
城というともう少し城塞とか、そういう軍事的意義のある建造物を想像させるので。
これは三人兄弟と呼ばれる3つの建物で、それぞれ違う時代に違う様式で建てられました。
右側が一番古い建物(つまり一番上の兄貴ですね)でゴシック、2番目に古い真ん中の建物はオランダのマニエリスム、一番新しい左の建物はバロックだそうです。あまり詳しくないのですがね。
リガの新市街へ
リガには3泊ほどしたので、歴史地区だけでなく新市街のほうにも足を伸ばしました。
中世の美しい町が残るリガ歴史地区とはうってかわって、モダンな、少し薄気味悪いような(たぶん雪が降ってるせいもある)、リガのもう一つの顔が見られます。
ちなみに僕が行った「新市街」とは、歴史地区から南東のエリア。Googleマップによると、この地区はMaskavas Forštate(マスカヴァス・フォルシュタテ?)というのだそうです。
このエリアには、ラトビア科学アカデミー(ここの薄気味悪さが半端じゃない)やリガ中央市場があります。
このエリアは、歴史地区とは全く容貌が違います。広い道が多かったり、比較的新しい建物が多かったり。
パノラマ風に。写真の中央奥に見える半円形の建物がリガ中央市場です。
市場の周りには出店がたくさん出ていました。リガ中央市場の中には入らなかったのですが、お店も人もたくさんいてかなり活気があるようです。
市場の外側にも生鮮食品などを売るお店がたくさんあったので、なんとなく想像できます。
科学センターからのリガ市街の眺め
さて……ここからが新市街のハイライト。ラトビア科学センターです。
この建物の薄気味悪さが半端じゃないんですが……まあ、百聞は一見に如かず、写真を見てみて下さい。
これがラトビア科学センターの建物。すごくないですか。この古さ具合、建物の色。そしてこの堂々たる佇まい。
連れが「この塔に登ってリガを一望しよう」とかなんか言っていたのでここに来たんですが、一目見て「マジですか……?」とビビりまくりの私。
ええ、登りましたよ。一番上まで。そこからの眺めがどうかというと、
こんな感じ。空が雲に覆われ、雪が積もっているせいで少し辛気臭い雰囲気(言い方は悪いですが)。まあこれはこれで面白いかな、と思います。
旧市街方面。意外と遠くてあまり良くは見えません。
遠くまで見えるんでいい眺めではあるんですが、正直歴史地区にある教会の尖塔に登るので十分かな、と思いました。
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リガ観光に便利なサイト
以上、リガ歴史地区およびその外側をぶらぶらしたようすを写真でお送りしました。
最後にリガ観光に便利なサイトを貼り付けておきますね。
- Latvia Travel(日本語および英語)
- Omioでヨーロッパ中の鉄道やバスを検索する
- Booking.com
- ホテルズドットコム
- アゴダ
- エクスペディア
- JTBで航空券、ホテル、パッケージツアーを探す
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