ホームシックというのは、親元を離れて暮らしたことのある人は一度は罹ったことのある、一時的な強い悩みだと思います。

かくいう僕もフィンランドに来た翌日からの2日間は、いくつかの原因が重なって物凄いホームシックに襲われました。初めての海外長期滞在で初めて親元を離れて暮らしたのでかなり強烈でした。

そんな僕ですが、簡単なきっかけでホームシックからは数日でおさらば。どころか日本へ帰る頃には、当初フィンランドに対して感じていた「異国感」を母国日本に対して感じるまでになりました。まるでフィンランドとりわけヘルシンキが「第二の故郷」であるかのように。

その時僕が感じた思いやそれに関連する出来事をシェアしたいと思います。

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海外留学最初の試練:強烈なホームシック

人によっては留学が始まって2~3ヶ月たってホームシックになるケースがあるそうですが、僕が強烈なホームシックに襲われたのは、留学先に到着して2日目のことです。

そこから2日間ほど、悶え苦しみました。

「あっけない」家族との別れ

2016年8月28日、この日僕は成田空港からフィンランドへと発ちました。

留学というものは僕にとっての一大イベント。住み慣れた国を離れ、家族とも離れ離れになり、異国の地でおよそ1年を過ごします。

成田空港での家族との別れは、なんとも「あっけない」ものでした。

生まれてから20年ほど一緒にいたので、家族というものは僕にとって非常に大きな存在でした。やので別れる時にはそれなりのイベントが伴うものだと思っていたのですが……

特にそういったある種の特殊イベントのようなものはなく、ただ単に別れただけでした。空港で荷物を抱えながら入り口に向かい、見送る彼らは壁の向こうに隠れてしまう。ただそれだけのことでした。

何だか「あれっ、こんなもんなの」と思ったくらい。

「これから留学生活が始まるんだ。待ってろフィンランド」といった気概があったわけでもなく。家族との別れというイベントが、何だかただ事務的に流れて行ったようで、そんな高揚感の入り込む余地などありませんでした。

独りではなかったフィンランド入国

そして飛行機での退屈な9時間半が過ぎ、話はフィンランド入国、ヘルシンキ中心街に入るところまで飛びます。

大まかにいえば、僕のヘルシンキでの留学生活は強烈な「異国感」とホームシックから始まりました。当たり前ですね。だって異国なんですもの。

ヘルシンキ・ヴァンター空港からヘルシンキ中央駅に到着し、ヘルシンキ市街に出た時の印象は忘れません。日本にいた頃には聞かなかった、信号機のピーッピーッ……ピッピッピッピッ……という音が異様なほど強烈に印象に残っています。

こちらはヘルシンキ中央駅から出た瞬間に撮った写真です↓

ヘルシンキ中央駅から出てすぐに撮った写真。駅西口
ヘルシンキ中央駅から出てすぐに撮った写真。駅西口。これがヘルシンキという町の第一印象

これが、はじめてこの地を踏み入れた僕が対面したヘルシンキの「顔」となったわけです。

実は、ヘルシンキに着いた当初は一人ではありませんでした。同じ大学の同じ学部の友達が偶然同じ便をとっており、彼と一緒に行動していたのです。

空港から一緒に市街に出て、駅すぐ近くのマックの席を陣取りsimカードの設定等をしたり。ホテルに荷物を置いた後は、また集合して駅にほど近いイタリアンレストランで夕食をとったりなど。

次の日もその彼と午前中に待ち合わせて鍵を取りに行きました。そしてアパートに到着した時から、僕のホームシックとの闘いが始まりました。

フラットには、誰もいなかった

自分の住居(フラット)に到着したのは良いのですが、フラットには誰もおらず。最初は荷ほどきで忙しくてさほど気にならなかったし、「まあその内来るだろう」とたかをくくっていたのですが、待てど待てど現れず。

一緒にフィンランド入りした友達の方はというと、もうフラットメイトが二人いたようで、色々楽しそうでした。

夜を迎えると寂しさはいっそう積もっていきました。行く前はやる気満々だったのに、初海外で初めての親元を離れた暮らし、場所が場所であるために帰れず「なんでこんな所に来てしまったのか」という思いがつのります。

相変わらずフラットには誰もおらず、ベッドにはマットレスしかありません。近所のスーパーに行くのも億劫でした。ホームシックについてネットで調べて出てきた方法(部屋を整理して自分の生活基盤を作る、とか)を試してみましたがそれも駄目でした。

それでもお腹は空くし食べないといけないので、仕方なくスーパーに行きます。見慣れないブランドの商品に囲まれて何を買ったら良いか分からなかったため、目に付いた出来合いのサラダとコーンフレーク(ケロッグのやつ)を買い、その日の夕食としました。

そして夜は、仕方なく掛け布団も敷き布団もないマットレス(!)の上で上着をかぶって寝ました。かなり早い就寝でした。

来たばかりの時の僕の部屋の写真
来たばかりの時の僕の部屋の写真。ベッドにはマットレスしかありません

次の日にフラットメイトが来ましたが、家族で来ているらしく少し挨拶しただけで行ってしまいました。昼ご飯はアパート業者のオフィスでもらったインスタントパスタで済ませます。

その後はホームシックを押してIKEAまで布団のセットを買いに行きましたが、周りは当然ながら全員現地人で家族連ればかり。自分はその中でアジア人でそれも独りぼっちなので不安はつのるばかりです。

ネットで調べたりしてなんとか布団やシーツ等一式を手に入れました。でもそれだけでどっと疲れてしまいその後はスーパーにも行かず、お腹は空いていましたが食べてしまうと次の日の朝ご飯がなくなるので、夕飯は食べずに寝ました。

ここで家族と連絡しなかったのかとつっこまれそうですが、家族にラインを送ったりはしましたよ。ネット環境は全く問題なかったので。

ただ、留学前はフィンランドに行きたいと何度も主張していた手前、やはり「帰りたくなった」何て言えないんです。「お前が行きたいっ言ったんだろ」と言われるのも、家族に心配かけるのも嫌だったんです。良くある話です。

ホームシックが治ったきっかけ

ヘルシンキ大学図書館

それでも、ホームシックは何週間も続くものではありませんでした。いかに強烈なホームシックでも、きっかけさえあれば簡単におさらばすることができます。

僕の場合は次の日にフラットメイトが来て本格的に腰を据え始めたことと、大学のオリエンテーションが始まったことがきっかけになりました。

オリエンテーションが行われる大学の講堂には、フラットメイトと一緒に行きました。そこで他の大学から来た日本人留学生(ちょうど手前の席に座っていた)と会い、予め決められていたグループに分かれてチューターと一緒に大学を見て回り、学生組合の申し込みや定期券の購入など色々な手続きをし、忙しい日を過ごしました。

次の日もオリエンテーションは続き、その後同じグループの留学生と少しヘルシンキの観光名所を見て回ったりもしました。

オリエンテーションが終わった後もやれイベントだのパーティだの科目登録だのやることが目白押しで、慌ただしく留学生活が始まりました

その後もエストニアにいる友達を訪ねたり、逆に彼がヘルシンキに来たり、そのための計画を練ったり、授業が始まったり。こんな風に色々なことに忙しくなると、いつしかホームシックも消えてなくなっていて、無事にヘルシンキでの生活を楽しめるようになったのでした。

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「人は3ヶ月で家を自覚するからね」

初めて来たプラハのカレル橋
初めて来たプラハの美しいカレル橋。

これは友達の言葉。1ヶ月半が経って、自分はヘルシンキに住んでいるということを実感した出来事が起こります。十月後半のテスト休みにフラットメイトと共に敢行したチェコ旅行です。

チェコは昔からの憧れの場所でした。プラハやチェスキークルムロフといった美しい街並みを見てみたい、日本での成人年齢になる前にビールが有名な国でビールを飲みたい……そんなチェコに実際に足を運べるとあって非常にワクワクしていました。

それまでに行った事のあった(フィンランド以外の)国はエストニアのみで、チェコは初めて訪れた北欧でない国。エストニアのタリン旧市街の何倍もあろうかというほぼの大規模なプラハの旧市街、元祖・ビールともいうべきピルスナー・ウルケルの樽生。

憧れの国に来た感動は相当なものでしたが、同時に感じたのが、「自分はここに住んでいないんだな」という感覚。

それと同時に、「自分の住んでいる場所はヘルシンキである」とも感じました。僕はこのプラハという町をヘルシンキほど知らないし、ただの観光客としてここにいる、いうなれば完全に「外」からこの町を眺めていました。

何故かは分かりませんが、これはフィンランドの隣国(つまり外国)エストニアでも感じたことのない感覚でした。

このことを同じくにヘルシンキに留学していた友達に言ったところ、彼が言ったのが「人は3ヶ月で家を自覚するからね」という言葉でした(まあ自分の場合は2ヶ月でしたが)。

たった1ヶ月半のヘルシンキ生活でもそう思えるほどに、ヘルシンキという町に住み慣れていたのです。

◆関連記事:【チェコ観光】プラハに滞在時にVienna House Andel’s Pragueが便利な理由6つ

ホームシックに悩まされていた留学当初と比べると、寂しさは格段に減っていました。

しかし家族との距離(物理的にも精神的にも)は常に感じていました。日本との時差が7時間あるフィンランドだと、夕方にはもう日本の家族は寝静まっていたり。寂しさこそないけれど、そういった「決して破れない、見えない壁」というのはまるでそこに存在するかのように感じていました。

「異国感」がなくなったヘルシンキ、逆に日本が「異国」になる。

話は急に飛んで帰国の数日前へ。

僕の帰国は6月の30日、つまりフィンランドでの在留が許可されている最終日でした。大学の授業が課題も含めてすべて終了したのが5月の上旬だったので、残りの1ヶ月半をクロアチア旅行と兼ねてから計画していた東南欧周遊旅行に使いました。

それから友達と一緒にヘルシンキに戻ったのが6月19日、その友達が自分の留学先に戻ったのが6月23日。帰国まで一週間しかなかったので、荷造りと掃除と現地の友人と会ったりとでとてもバタバタしていました。

ただ、帰国の日が近づくにつれ、ヘルシンキを離れたくないとさえ感じたのです。留学生活の最初の方は、あれだけ強烈なホームシックを抱えていたのに。

空港に行く電車の中では非常に寂しい思いをしましたし(荷物は馬鹿みたいに重かったし)、帰りの飛行機の中では逆に日本に帰ることに対して少なからず不安に思っていました

成田空港で飛行機から出たところにある「Welcome to Japan」の看板。

9時間半のフライトののち、成田空港に到着。いざ日本に着いて感じたのは、「想像以上に湿度が高い」ということでした。

その日は曇りだったので気温は高くなかったのですが、フィンランドに比べ比較にならない程じめじめしていて、体にコケが生ええないか本気で心配しました。

そして家族に迎えられ、近くの酒々井アウトレットへ。ヘルシンキに念のため持って行っていた夏服は数枚を残してほぼ寄付してきたので、新しい夏服を買うためお店に入りました。そこの店員さんの何と腰の低いこと! ヘルシンキの店員さんの対等な態度に慣れていた僕は非常に腰が引けてしまいました。

あの時の僕にとって、日本は半分以上「異国」でした。それくらいヘルシンキに居ついていたわけですね。

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ホームシックは不治の病じゃない。すぐに海外生活にも慣れますよ。

留学生活でのホームシックは、多かれ少なかれ誰でも罹ることだと思います。もしかしたら過去に上京した経験があったりして、「ホームシックなんて感じなかった」という人もいるかも知れませんが。

当初こそ強烈なホームシックに見舞われていた僕ですが、どうしてここまでヘルシンキに住み着くことができたのか。月並みですが、ざっくり言えば「慣れ」ですね。ヘルシンキで暮らすことに慣れたわけです。

ではなぜ「慣れ」ることが出来たのか。

まず第一に、ヘルシンキという街を知り、生活リズムを構築できたこと。これはどこで食料を調達すれば良いかだったり、交通機関の使い方だったり、現地で話されている言語をある程度理解できたことだったりします。

そして現地のコミュニティに参加し、フィンランド人やフィンランドに住む日本人と知り合えたこと(日本出身じゃないけど、日本で働いてて日本語ペラペラの人もいました)。

あともう一つは、留学生活が忙しすぎてホームシックなんて構っていられなかったということでしょうか。大学のオリエンテーションを皮切りに色々と忙しくなってきて、ホームシックで悩む暇もなくなったので自然と霧散していったという感じですね。

自分から何かをした結果というよりかは外的な要因でホームシックを克服しました。

よくネットでは、ホームシックへの対処として現地の友達をつくると良いと聞きますよね。僕みたいにフラットメイトがいない時やそもそも外出する気力がない、どこで友達が作れるか分からないという場合もあります。

そういう時は、辛いですが大学なり語学学校なりが始まるまで待つのも、一つの手ではあるかと。辛いけど。

一度学校が始まってしまえば現地で友達もできるでしょうし、そうすればホームシックも徐々に消えていくだろうと思います。もし可能ならその前から積極的に友達作りをしてもいいでしょうね。

また、「最悪の場合帰ったっていい」ことを心に留めるのもいいでしょう。一人で異国の地で生活しようということ自体が結構すごいことなので、あまり気を貼り過ぎなくても良いですよ。

まあいま思うと、ホームシックを感じ始める前に、街を観光しまくってエンジョイしていれば良かったかも知れないですね。次に活かせそうです。

まとめ

以上、海外でホームシックに罹り、それを克服し、やがて日本に対して異国感を感じるまでになったという話でした。

ホームシックにかかり、それを乗り越えた経験は、次に違う土地で新しく一人暮らしを始めるときの自信になります。僕ももし次に海外生活を始めるときには、この時くらい強烈なホームシックに陥ることはないと思っています。

まあ本当にそうかは実際に海外生活をまた始めない限り分からないのですが、自信があるのとないのとではスタートが全然違いますからね。またもう一度海外(今の所ヨーロッパがいい)に住んで、もう一度自分の適応力を試してみたいところです。

Header Image by Anemone123 / Pixabay