歴史とか考古学が好きな人って多いけど、その理由に「ロマンがあるから」という言う人は案外多いんじゃないかと思う。

一方でその歴史学と考古学っていうのは気の遠くなるような地道な作業で出来ていて、緻密な論理で固められているという面ももちろんあると思う。そしてそれは僕が好きな言語学にもあてはまる。

そのロマンと、それを裏付ける証拠の山と果てしない論理を両方一緒くたに楽しめる本を紹介。筑摩書房の馬・車輪・言語(デイヴィッド・W・アンソニー著、東郷えりか訳)だ。

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インド・ヨーロッパ語族の原郷を巡る壮大な旅

印欧祖語を話していた人々は、重大な時期に、要衝の地に暮らしていた。彼らは輸送手段の技術革新がもたらした恩恵をこうむれる場所にいた。

デイヴィッド・W・アンソニー著、東郷えりか訳『馬・車輪・言語 上』37ページより

著者は、アメリカのハートウィック大学で考古学と人類学の教授を務めるデイヴィッド・W・アンソニー(David W. Anthony)氏。

東欧から中央アジアにかけての先史時代を専門としているそうで、この本の内容にぴったりというわけだ。

この本のテーマは、『インド・ヨーロッパ語族』の原郷。インド・ヨーロッパ語族とは、英語やギリシャ語、アルメニア語、はたまたペルシャ語やヒンディー語などが属する語族、つまり祖先を同じくする言語のグループで、その版図は西ヨーロッパからインドやスリランカに渡り(さらに植民地政策でアメリカ大陸やアフリカ等にも広がっている)、母語話者の数は30億人にもなる。

その祖先たるインド・ヨーロッパ祖語(印欧祖語と呼ばれる)のふるさとの場所を突き止めようとする壮大な旅路。筆者はそれをポントス・カスピ海ステップ(黒海とカスピ海の北にある草原地帯)であると主張し、それを裏付けていっている。

本書(原書)はある種古典のような地位を確立しているそうで、実はこのサイトで原書が無料で読めます。

ジャレド・ダイアモンド氏の『銃・病原菌・鉄』を想起させるタイトルだけれど、それに負けず劣らずのでかいスケールで、膨大の量の資料で証拠付けを行ったすごい本。ただし、読み応え(読みづらさともいう)は、圧倒的に本書に軍配があがる。文庫もまだ出てないし笑

Interdisciplinaryとはまさにこのこと

そう、何よりその文献や資料の量がと範囲がえげつない。考古学、印欧祖語というもう存在しない言語を扱う性格上必須な歴史言語学はもちろん、生物学や統計学などなど……と多岐にわたってる。その圧倒的な量たるや、巻末の参考文献を観れば一目瞭然(ここで見せられないのが残念でならない)。

歴史言語学者と考古学者の超えられない壁を超えるだけでなく、他のあらゆる分野を巻き込んで論を展開している様には脱帽という他ない。

最初の第1~6章は歴史言語学に宛てられていて、それ以外、最後の第17章を除くと、あとは考古学や生物学の独擅場(たまに言語学が顔を出す)で、調べていくうちに湧き上がる疑問を一つ一つ解決し裏付けしていく。

Interdisciplinary(学際的、いくつかの学問分野をまたいでいること)とはよく耳にするけど、それが真に表れていると思う。

言語学しか分からない僕はそのディテールの量と深さに尻込みしてしまい、恥ずかしながら飛ばし読みしてしまったところがかなりあったことを告白しないといけないんだけど……

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第1~6章と第10章、第17章は必見

valtercirillo / Pixabay

ボタイ(現在のカザフスタン北部)で最古の事例がある家畜化された馬、シンタシュタ(ウラル山脈の東にある)で発明されたとされるチャリオット、そして政治機構や文化的な要素を手に入れた印欧語族の話者が、ユーラシア大陸の同緯度地帯に広がるのステップを通して広がっていった。

こんな風に比較言語学者たちが積み上げてきた印欧語分岐の理屈と、考古学的な根拠が流れるように一致していくのは、見るのも清々しい。

そして色んな人が書評で述べているように、白眉はやっぱり第10章だと思う。

筆者が、家畜化された馬の最古の事例を独自に突き止める箇所で、ハミ(頼むから轡って呼んでくれ)をつけた馬の前臼歯に残ったわずか3ミリほどの擦り減りが、この壮大な発見のカギとなると。いやぁもう圧巻です。

あとは言語(学)好きな自分としては第1~6章はやはり必見ですね。歴史言語学をかじった人にはおなじみのサー・ウィリアム・ジョーンズ(Sir William Jones)の話から、印欧祖語には馬や車輪、ワゴンといった語彙があることが突き止められた話、歴史言語学者が復元した単語は虚構なんかじゃないってことを示した話……などなど。

言語が時を経て進化していく過程で起きた規則的な変化のあるなしで言語がグループ化(イタリック語派、アナトリア語派等)され、印欧祖語から分岐した年代や順番まで分かってしまう。隅々まで論理で固められた世界だけど、その奥深くにロマンがある話。

ハミと馬の葉の摩耗もいいけど、こっちもよーく読んでね。

それで後は全体を総括した第17章。まあ最悪ここだけ読めば全体の流れが分かる訳だけど、それだとやっぱりウィキペディアで読むのとあんまり変わらないので、やっぱ本文読んで圧倒的なディテールを感じてほしい。

アーリア人は奴隷?

みんな素通りすると思うけど個人的に「おっ」と思ったのは下巻176-177p、15章の中盤ちょい前あたり。インド・イラン祖語からウラル語族のフィン・ウゴル祖語(何を隠そうフィンランド語の祖先だ)への借用語をちょろっと解説した部分。

「アーリア人」を意味するインド・イラン祖語の*ayra-がフィン・ウゴル祖語に入って*oryaとなったという。ここでフィンランド語がある程度わかる僕は、フィンランド語で「奴隷」という意味のorjaとそっくりだなと思ったら案の定その祖先だった。

インド・イラン祖語の民族とフィン・ウゴル祖語の民族が対立していたと筆者は考えているわけだが、つまりインド・イラン祖語を話す人が戦いに負けた時に、フィン・ウゴル祖語を話す人々の里に奴隷として連れてこられたってことかな。

しかし「アーリア人」という言葉にはナチスに代表されるような他人種に優越するようなニュアンスがあるように思えていた(無論優越するなんてことはありませんし僕はそんなこと端から信じてないけど)ので、それが少しひっくり帰った。そういう思想の持ち主は卒倒するんじゃないかな。

希望としてはもっともっと言語学の部分が多かったらと思うけど、まあそれ言うのは野暮というものでしょうな。

以上です。ロマンあふれるものすごい大作だと思います。正直、こういうすごい人の活動を知るためにも読書はあるんだなと思うくらい。個人的には歴史言語学をもっと掘り下げたくなった(特にゲルマン諸語とフィンランド語)。

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