乱読メモ第8弾は古典のようなものを読んでみた。
最近日本語訳が出版されたヴァーツラフ・ハヴェルの『力なき者たちの力』。チェコスロバキア最後の大統領、のちにチェコ共和国の初代大統領となったヴァーツラフ・ハヴェルが描いたエッセイ。
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この本を手に取ったきっかけ
この本を手に取ったのは、2月のNHK『100分de名著』で紹介されていたから。
その前の月に出口治明氏が出演していた『貞観政要』の回を見てから、次は何かなーと思って次回予告を見ると、チェコ初代大統領のハヴェルの著作が出てくるというじゃないか。
もともと僕はチェコの言語や文化、歴史に関心があったし、チェコに3度行ったので(3度目はその放送の後だけど)、チェコ関連の名前が出るとどうしても気になってしまう。
『力なき者たちの力』は、共産主義体制下のチェコスロヴァキアで反体制派の劇作家として活動していたヴァーツラフ・ハヴェル(Václav Havel)が書き下ろしたエッセイ。チェコ語の原題はMoc bezmocných(モツ ベズモツニーフ)、英語ではThe Power of the Powerless。
出版はプラハの春の失敗から10年後、および「憲章77」発表から一年後の1978年で、地下出版(サミズダート)という形で出版された。
日本語訳が出たのは2019年の8月でつい最近だ。訳者はチェコ文学者で東京大学准教授の阿部賢一氏で、チェコ文学の訳書やチェコ関連の本を多く書かれている方。
ハヴェルについてはネット上でいくらでも情報が見つかるのでここで改めて書くのは差し控えるけれど、彼の著作がどんなものか気になって、ついポチってしまった。
共産主義体制下のチェコを描いた古典
この本はソフトカバーの単行本で、作品の内容自体は正味115ページ程度なので単行本としては結構薄い。だけど文章が分かりにくくて更にとても考えされられる内容だったので、読み切るのにかなりの体力が必要だった。
自分の拙い理解力と教養でこの本の分析をするなんて烏滸がましいにもほどがあるので、気になった点をいくつか拾い上げて、感じたことを書いてみる。
形而上的、実存的な確実性が危機に瀕している時代にあって、寄る辺なさや疎外を感じ、世界の意味が喪失されている時代にあって、このイデオロギーは、人びとに催眠を書けるような特殊な魅力を必然的に持っている。さまよえる人々に対して、たやすく入手できる「故郷」を差し出す。あとはそれを受け入れるだけでいい。そうすれば、ありとあらゆるものが明快になり、生は意味を帯び、その地平線から、謎、疑問、不安、孤独が消えてゆく。
ヴァーツラフ・ハヴェル著 阿部賢一訳 『力なき者たちの力』11頁
実はこの一節はこの本を読んで初めて目にしたのではなく、「100分de名著」の第1回で引用されているのを見たのが最初だった。
これは何も共産主義社会に限らず、それこそ今の日本みたいな現代社会でも当てはまることだと思う。イデオロギーは右翼左翼とか反政府みたいな思想でもいいし、ジョージ・オーウェルがエッセイの中で書いていたようなスポーツチームを応援する気持ちのようなもの(ちょっとうろ覚えなので『あなたと原爆』をあたって下さい)でも良いし。
こういった「○○は△△である」とか「××は敵/仲間である」ときっぱり言ってくれるイデオロギーに身を任せてしまえば、分かりやすい正義が目の前に現れてくれて、余計なことを考えなくてすむようになるし、誰かと同じ考えを共有している安心感が生まれるよね。
……それがつまりここに書かれている「故郷」とか「その地平線から、謎、疑問、不安、孤独が消えてゆく」っていうことなのかな。
伝統的な政治カテゴリーや慣習の重荷から解放されること、人間存在の世界を十全に受け入れること、そして世界を分析したうえで政治的結果を導き出すことは、もちろん、政治的に現実であるばかりか、「理想的な状態」という観点から見ると、政治的にも展望がある。より良い状況へ、真に、深く、恒常的な変化をもたらすには、他のところでも触れるが、伝統的な政治概念に基づく、ただ外的な(つまり構造、制度をいう)政治コンセプトとして浸透しているものを起点とすることはもはやできない。
ヴァーツラフ・ハヴェル著 阿部賢一訳 『力なき者たちの力』55頁
ふーむなるほど(←わかってない)
新しい政治を模索する時に「○○主義」みたいな定義の固まった言葉を持ってきたところであまり意味がないということかしら。
IT業界では技術の進歩の速さを「ドッグイヤー」とか言うけれど、まあそれほどのスピードではないにせよ、政治の世界でも今までになかった新しい思想が出てくるはず。その新しい思想に対して「それは○○主義だね」みたいに規制の枠組みに当てはめることはもはやできませんと。
実際のところ、伝統的な議会制民主主義も、技術文明、産業社会、消費社会の「自発的な動き」に対する根本的な解決を提供していないように思われる。というのも、民主主義は技術文明、産業社会、消費社会に振り回されており、それらを前にして無力になっているからである。
ヴァーツラフ・ハヴェル著 阿部賢一訳 『力なき者たちの力』113頁
どうしようもないけれど、結局その通りなんだと思う。
ハヴェルは共産主義体制下のチェコで反体制派として活動していたわけだけど、必ずしも西側の資本主義社会が理想だと思っていたわけじゃないんですね。僕らがこういう反体制活動家を論じる時はそういう論調になりがちだけど。
だが、伝統的民主主義を政治的理想と見なし、この「実証済み」の形態だけが、人間に対して、威厳のある正当な立場を永遠に保証してくれるという幻想に身を委ねることは、私見によれば、きわめて近視眼的であろう。
ヴァーツラフ・ハヴェル著 阿部賢一訳 『力なき者たちの力』114頁
政治が具体的な人間の「ここと今」を起点とせず、抽象的な「あそこ」や「いつか」に固執すればするほど、人間の隷属化の新たな事例にしかならないのを今日の人々は切実に感じているからである。
ヴァーツラフ・ハヴェル著 阿部賢一訳 『力なき者たちの力』55頁
未来にどんな政治形態が生まれてくるのかは分かりません。それだけに、今までに存在した政治形態、言ってしまえば「過去の遺物」たちの中に最適解があると思い込むのは確かに間違いなんだろうな。
それでも学ぶべき教訓は過去にしかないから、もどかしいところ。
今回のところはとりあえずここまで。他にも付箋を貼ったころはいっぱいあるんだけど、それについてはもう少し咀嚼できたら書くかもしれない。
現代日本に生きる人には、ぜひ手に取って欲しい本だと思う。ただいかんせん文章がなかなか難しいので、『100分de名著』の回を見るだけでもいいかもしれない。あまり知られていない古典的名著だと思いますので。
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