ヨーロッパの言語を大きく3つに分けるとしたら、おそらくこうなる。ゲルマン、ラテン(イタリックあるいはロマンス語)、そしてスラヴ。
(これは言語の特徴を踏まえた分類(いわゆる「語派」)なんだけれど、もちろんこれ以外にもケルトやバルトなどの語派、そして単一で語派を作るアルバニア語、ギリシャ語、アルメニア語もある。ここでは触れない)
このなかで英語とドイツ語を擁するゲルマンとフランス語やスペイン語、イタリア語というザ・ヨーロッパ的な大言語の属するラテンは、日本人にとってかなりなじみがある気がする(これらの言語をちゃんと学んでいる/話せるかはさておき)。
ただ、問題なのは残りのスラヴだ。
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一様に見えて実は多様なスラヴ語派
スラヴの筆頭といえばもちろんロシア。ただ、ほとんどの日本人はおそらくロシア語を勉強どころかほとんど知らないだろうし、知っていてもせいぜいスパシーバやマトリョーシカ、ボルシチ程度のものだと思う。
スラヴ語派は、主に東欧からロシア、旧ソ連地域で話される言語のグループ。ロシア語はもちろん、日本で第二外国語として取り上げられることの少ないウクライナ語、チェコ語、セルボ・クロアチア語、ブルガリア語などもスラヴ語だ。
僕は数多いスラヴ語のうち2言語(ロシア語、チェコ語)を学んだことがあるし、他のスラヴ諸言語のテキストや単語の変化表を見たことがある。スラヴ語はたしかに文法や発音がかなり似通っていて、ロマンス語よりも画一性が高い気がする。
ただし、言語的には一様に見えても、その言語を話す人々の歴史をたどると、地域によってかなり多様な歴史を歩んできたことが分かる。どの宗教宗派を奉じているか、どの国の影響下にあったかなどなど。
そういったスラヴ語の歴史を「古代スラヴ語」という観点から紐解いていくのが本書、『古代スラヴ語の世界史』。
「リンガ・フランカ」の古代スラヴ語から現代スラヴ語まで
古代スラヴ語は、「古代教会スラヴ語」のこと。キリスト教の典礼で使われるグラゴール文字で書かれた文字言語で、日常会話の言語ではなく使用場面の限られたいわば上層語だ。
「〇〇語」と聞いて音声言語ではないというのは変に聞こえるけれど、ラテン語とか古典ギリシャ語、ヘブライ語の例もあるのでそう珍しいことじゃない。
古代スラヴ語はビザンツ帝国から来た「スラヴ人の使徒」メトディオスとコンスタンティノス(のちのキュリロス)がモラヴィア王国での布教に際し、整備したグラゴール文字で書かれたのが始まり。
そこからローマ教会による圧力なんかもあって、スラヴ語典礼の中心はモラヴィアからブルガリアに移動し、そこでキリル文字が発達(どうもグラゴール文字は使いづらかったらしい)。そして9世紀には北方のキエフ公国(キエフ・ルーシ)に移った。
……とここまでが古代スラヴ語の歴史の概略。キリル文字がブルガリアで発明されたのは聞いたことがあったけど、グラゴール文字時代(?)からの古代教会スラヴ語の歴史の舞台がそんな風に移っていったとは。
それで古代教会スラヴ語は正教の影響下にあった(スラヴ人の使徒はビザンツ帝国出身、ブルガリアもキエフも正教圏)のだけれど、それは現代のスラヴ語がどの文字を使っているかということに反映されている。
大まかに分ければ、正教徒が多い国の言語はキリル文字で、カトリックが多い国の言語はラテン文字で書かれる。民衆での典礼を是とした東方教会と、ラテン語(他にもギリシャ語やヘブライ語)での典礼を重んじた西方教会ちおう態度の差が出ている。
この多様性が一番分かりやすく出ているのが「ヨーロッパの火薬庫」バルカン半島。クロアチアはハンガリーの支配下におかれカトリックが多くクロアチア語でラテン文字で書かれ、セルビアはビザンツ帝国の影響で正教徒が多くキリル文字。なんならムスリムのスラヴ人(ボスニャク人)だっている。
この多様性の背後には、歴史を通して、広範囲に広がったスラヴ人たちの上にのしかかった大国の影響がある。言語的に似通っていようがいまいが、それまで各民族が歩んできた複雑な歴史が現代にもその片鱗を見せているわけだ。
というわけで、ゲルマンやラテンに比べて馴染みの薄い(特にロシア人以外の)スラヴ人の歴史を読みやすくまとめた本として、本書を評価したいと思います。
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