読書感想文第6弾。「乱読メモ」としては第2弾。

「乱読メモ」と題したものの、最近は「ドイツ」「宗教」「ヘッセ」にテーマを絞って本を読んでいる。2月末から予定しているドイツ~チェコ~ベルギー旅行に行く前に、予備知識を備えておこうという算段。

今回はヘルマン・ヘッセ著『ペーター・カーメンツィント』を読んでみたのでその感想を簡潔に書こうと思う。ネタバレあり。

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ヘルマン・ヘッセのデビュー作

細菌や文学と言えばもっぱらヘッセを読んでる。というのも、2月末から予定しているドイツ~チェコ~ベルギー旅行で、ヘッセの生まれた街カルフと、彼の通った神学校があり『車輪の下』の一部舞台にもなっているマウルブロン修道院(ちなみに世界遺産)を訪れるつもりだから。

自分はそこまで強烈なファンではないけれど、ある程度以上古い作品だとヘッセの著作が好き。とくに代表作の『車輪の下』や『シッダールタ』が好み。ただこの2冊以外には全く読んだことがなかったので、前者を読み直したのち、エッセイなども含めて他の本にも手を伸ばしてみている。

ちなみに『少年の日の思い出』は、たくさんの人が国語の教科書で読んだことがあるんじゃないかな。あのエーミールが出てくるやつ。

で、今回読んだ『ペーター・カーメンツィント』。これはヘッセの作家としてのデビュー作で、彼が25歳の時に書き上げたもの。発表は1904年。僕が読んだのは講談社古典新訳文庫のもので、他の出版社から出ているものは『郷愁』とか『青春彷徨』といった邦題がついている。ドイツ語題名はPeter Camenzindなので、光文社の題名がより原題に近い(というか同じ)。

この本のあとがきにもあるように、この小説は作25歳の若者(僕とそう変わらない)が書いたとは思えないくらい、なんというか、作者の老練さが伝わってくるような気がする。実際僕も、この本がヘッセのデビュー作であることをすっかり失念して、作者はさぞ年と経験を重ねたおじさんなのだろうと思いつつ読んでいたくらい(ごめんなさい)。

人はみな、故郷に帰って行くのだろうか?

主人公のペーターがスイス高地の田舎で生まれ、村を出、都会で暮らし、恋愛や旅を経験したのち、故郷の村に帰って行く。その時は父親もかなり年をとっており、自身も壮年期に入っているかと思われる。

最初は村の外の世界に憧れ、南国に焦がれて旅をした主人公だったけれど、失恋や近しい人の死を経て故郷に戻ったあたり、最近やたら海外旅行に焦がれ移住までしたいと思っている自分の人生の先を見ているような感じがする。

人は一度は外の世界に憧れて、実際に外の世界に出ていき、そして行く行くは生まれた場所に戻っていくのだろうか?

もちろん故郷を離れた人が全員物理的に故郷に戻るなんて思わない。生まれ故郷から遠い場所に移り住んで、そこ(あるいは別の場所)で没した人なんていくらでもいる。

ただ実際に故郷の地を踏むことはなくても、自分の生まれたちを想わずにはいられないのかも知れない(物理的ではなく精神的に故郷に戻っていく感じ)。それは年を取ってないどころか移住を経験したことのない僕にはわからない。この先生きてみて、これが本当なのかどうか、この本の物語を時折思い返しつつ、見てみたいと思う。

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気になったフレーズなど

ちょっと気になったフレーズや、気に入ったフレーズをここにメモしておきましょ。

「自然はいいね、大好きだ」と言う人は多い。その意味するところは、そのつど差し出された魅力を楽しませてもらうのは嫌いではないということだ。人々は戸外に繰り出し、大自然の美しさを見て喜び、牧草地を踏み荒らし、果ては花や枝をもぎ取ることまでやらかす。すぐに投げ捨てるか家に持ち帰ってもしなびるのを見るだけなのに。人々の自然の愛し方とはそういうものだ。。日曜日に綺麗に晴れ上がった空を見てはそんな自然愛を思い出し、自分の優しい心根に感動するのだ。

ヘッセ著 猪股和夫訳『ペーター・カーメンツィント』光文社古典新訳文庫 169頁

かなり辛らつにこきおろしてる。でも僕自身も含め、「自然が好き」という時の「自然」は、多かれ少なかれショーケースに入れられた「自然」であり、自分は冷暖房が効いた部屋からその「自然」を眺める、という心象を抱かざるを得ない。だって本当の大自然はこわいもん。

次々と昔の思い出が私を取り囲むようによみがえってきた。おじのコンラート、レージ・ギルタナー、母、リヒャルト、アグリエッティ。それを私はきれいな絵本でも開いたように見つめていた。本当はその半分もきれいではないのに、こうして絵本になると、どれもなんて美しくよく出来ているのかと思ってしまう。

ヘッセ著 猪股和夫訳『ペーター・カーメンツィント』光文社古典新訳文庫 183頁

思い出とはどういうものかを端的にかつ美しく書いているフレーズ。

そのことに気づくまで、私にとって人間というのは一つのまとまりであり、そのまとまりぜんたいが丸ごと縁遠いものだった。それがここに来てようやく、人類という抽象的なものではなく具体的な個人を相手にするようになり、個人を知り研究することがどんなに価値あることか学んだのだ。

ヘッセ著 猪股和夫訳『ペーター・カーメンツィント』光文社古典新訳文庫 209頁

「人間というのは一つのまとまりであり、そのまとまりぜんたいが丸ごと縁遠いもの」……わかる気がする。

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