こんにちは。神様を信じてはいないけどいてもいいんじゃないかと思っている準無神論者の明月です。

僕はitalkiという外国語学習者用プラットフォームで知り合ったフランス人の男性とフランス語と日本語のランゲージエクスチェンジをスカイプ上でやっていたのですが、その人が日本に旅行で来ていたので、先日一日だけ会って東京散歩してきました。ラーメン屋に行ったり、バッティングセンターに行ったりとなかなか充実した一日でした。

渋谷でラーメンを食べた後は特に買い物とかもせず(野郎2人だし興味もなかったし)、原宿の明治神宮まで歩いていきました。本殿の近くにはたくさんの絵馬が奉納されていましたね(そういえば、あの絵馬を掛けるあれって何ていう名前なんでしょう……)。大勢の人が願いをかけた跡です。

今回は、「願い」に関する日本語について考えたことを書いてみました。


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「~でありますように」

絵馬でも短冊でもなんでもいいですが、日本語を母語とするみなさんは願い事を書くときどういう表現を使うでしょうか。「~がしたい!」とか「~だったらいいのに」とど直球に書く人も少なからずいるとは思いますが、多くの人は「世界が平和でありますように」とか、「サッカー選手になれますように」のような「~ますように」という表現を使うのではないでしょうか。

そこで僕がふと思ったことなんですが、この表現を使うときっていつも敬語ですよね。「世界が平和でありますように」とうい感じで。これ、なぜ敬語なんでしょう。敬語じゃなかったらどういう違いが生まれるんでしょう。以下、自分の母語話者としての勘のみを頼りに考えてみたいと思います。

(正直辞書とかコーパス等のツールを使ってもっと科学的に説明したかったのですが、こういったツールは単語ごとの検索ができこそすれ、今回扱っているような表現はそもそも検索できないor非常に使いにくいので断念しました)

 

敬体単独で成立し、常体は後に続く

まず最初は「でありますように」と「であるように」のペア。たとえば「世界が平和でありますように」と「世界が平和であるように」。

まず丁寧語を使った前者の方。こちらは単独で文として成立している気がします。ここに読点(、)を追加して文を続けようとすると違和感が出てきます。「世界が平和でありますように最大限努力してまいります」みたいな。適当な文ですが、何かが違うと思いませんか。

そして後者。こちらは後ろに文が続いていくことがもう前提になっていると思うのです。「世界が平和であるように最大限努力する」。それともう一つ、「~みたいに」とか「~と同じように」という意味で「「世界が平和であるように、僕の家も平和である」という風にも言えますね。ほかにもいくつか意味がありますがこの辺にしておきます。とにかく敬語じゃないほうは単独で使うととても変です。

他にも「~になれますように/なれるように」「~になりますように/なるように」などのバリエーションがありますが基本的に同じです。

サッカー選手になれるように努力します。

*サッカー選手になれますように努力します。

世界が平和になるように日々奮闘しています。

*世界が平和になりますように日々奮闘しています。

アスタリスク(*)は言語学で「非文法」、つまり文法的に間違っているという意味です。ここでの文法非文法の根拠はあくまで僕の直感なのであまり使いたくはないですが。

こうしてみると、後ろに文を続ける場合は敬語を使わないほうがしっくりきますね。ただ、「世界が平和になりますように願っています。」と言った場合は、何となく問題ないような気がします。何でなんでしょう。なんだかとても奥が深そうです。

 

以上、自分の母語話者としての勘だけを根拠に勝手に書いてみました。異論反論反例等ありましたらどんどんどうぞ。あと、こういう問題を考えるときに使えるサイトや辞書をご存知でしたら教えていただけると嬉しいです。

いやーこうやって日本語について考えていると、ヘルシンキ大学で日本語アシスタントをやっていた時を思い出して楽しくなってきます。このカテゴリーでもちょくちょく更新します。

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